ロマンスカーミュージアム探訪レポート(後編)
※記事上方の前編から続きます。
●ハイデッカー構造、塗装一新 4代目10000形「HiSE」

お次は4代目ロマンスカー、10000形「Hi(High)SE」。唯一小文字が入り「はいえすいー」と読む。
1987年に小田急60周年を記念して製作されたロマンスカーで、連接構造の11両編成である点は「NSE」「LSE」と同じだが、見てのとおりオレンジバーミリオンの塗装は一新された。4本が製造されたが置き換え車両なしの純増であり、なんともバブリー(実際バブルの真っ只中だったのだが)な印象だ。
「Hi」には「上位の」とかの意味もあるが、愛称の由来であり最大の特徴でもある、床下高さを上げて眺望を重視した「ハイデッカー構造」にある。当時の観光バスやJRジョイフルトレイン等でも流行っていた構造で、「SE」当時の低重心構造から大きくコンセプトが変わったことになるが、「LSE」同様に高速化どころではない環境だったことから、それよりは快適性、眺望性を重視する設計としたのだろう。もっとも、「LSE」の項で書いたことの繰り返しになるが、仮に「HiSE」が現存していても60分切りには問題なかったはずである。
前面展望室だけでなく一般座席からの眺望性も向上させた、観光用としてはこの上ない内容のロマンスカーだったが、不運なことに後にバリアフリー法が施行され、車内に入るには階段を利用しなければならない(=車椅子で乗れない)ハイデッカー構造が仇となり、改造することもできたと思うが見送られ、登場からわずか25年、2012年に早期引退の憂き目にあってしまった。
2005年に「VSE」により2本が置き換えられ、その際引退した10021F(第2編成)、10061F(第4編成)は長野電鉄に譲渡され、4両編成に短縮されたうえで現在も現地の特急「ゆけむり」として活躍中。小田急に残ったうち10001F(第1編成)が中間車含めて3両が喜多見の車両基地で保存されていたが、ミュージアムには新宿寄り先頭車10001のみが保存される結果となった。
1両だけ端にポツンと置いてある感じなので、特に3両保存の「SE」「NSE」の後に見ると車体の短さも相まって、いささか寂しい印象を受ける(「LSE」は1両とはいえ、そのへんうまく隠せている)。

灯火類の意匠は「LSE」と似ているが、ロマンスカーとして初めて前面の愛称表示機(ヘッドマーク)が省略されたスタイルとなった。近年はJRや他私鉄含めてヘッドマークは省略するのが主流であり、その意味では時代を先取りしていたのかもしれない。現役のロマンスカーでも前面に愛称表示機が残っているのは「EXE」未更新車と「MSE」だけだ。

ミュージアム内の位置関係はこんな感じ。「SE」と同一線上に位置している。

前面窓は「LSE」よりもさらに鋭い38度で、「NSE」「LSE」では後退していた2階運転室は展望室と同一面になった。後継の「VSE」「GSE」もそうなっているが、同じように2階運転室、展望室を持つ名鉄「パノラマカー」やJR初期のジョイフルトレインなどは後退があるので、同一面にあるのは小田急のみである。というか、2階運転室の展望室スタイルは小田急しか続けていないので、他は進化を見ようにも見れないのだが。
展望席部分の床はホームより低い位置にあるが(ここだけプチ低重心構造)、客用扉から後ろはハイデッカー構造になっていることがわかる。愛称表示機は側面に移されたこともわかる(愛称表示だけで行先表示機ではない。また、中間車にはない)。
秀逸だと思うのは塗装の塗りわけで、窓高さの変化をうまく処理できていると思う。特に窓下の太帯が引き締めているというか、ハイデッカー車にありがちな腰高感をうまく隠せている。

塗装についてちょっと触れると、展示車両、すなわち晩年期はアイボリーを基本に窓回りがパステルレッド、太帯と下回りがかなり濃いワインレッドという感じだが(※公式の色名ではなく筆者が勝手に呼んでるだけ)、登場時は塗り分けこそ変わっていないがピュアホワイトに近く、窓回りはもっと鮮烈な赤で、太帯と下回りはやや濃い程度の赤であまり差がない印象だった(それぞれ公式にロイヤルレッド、オーキッドレッドと呼称)。
いつから色調が変わったのかはっきりしないが、書籍をいろいろ漁ると2008年ごろ、側面にブランドマーク(展示車では剥された)が貼り付けされたあたりから変わったようだ。ちなみにこの色調、小田急60周年に発売された「小田急ものがたり」という書籍があるのだけど、その表紙に描かれた「HiSE」イラストの色調に酷似している気がする(気になる方は書名で画像検索してほしい)。当初はイラストとは違う色調になってしまったけど、晩年はせっかくなので再現してみよう、となったのかもしれない。


連接車を1両だけ保存すると「こうなる」。
1両しか展示されなかった「HiSE」だが、ここはチェックしておくべきポイント。むき出しの妻面に連接台車だ。まさに2両で1台車を共有し、連結部中心=台車中心であることがわかる。「LSE」も同じようになっているはずだが前述のとおり見ることはできない。

今見ても古さを感じさせないボディとは対照的に、床下にはいかつい主抵抗器がびっしり並ぶ。
同時期に登場した通勤車1000形では小田急初のVVVFインバータを採用していたが、「HiSE」はメカニズム的には「LSE」とほとんど同じであり、新しさよりも信頼性を重視した設計だった。
なお、ハイデッカー構造になったため空調装置は床下に搭載されている。

「SE」「NSE」はデッキ部分までだったが、「HiSE」は完全に車内を見学できる。カーテンは撤去されているし折り畳みテーブルも固定されているが、シートへの着席はOKだ。.

シートは回転クロスシートでリクライニングはない。「LSE」ではリクライニングが採用されていたが、「HiSE」は諸事情で採用されなかった。シートバックは適切な角度が付けられており、座りこごちは全く問題ない。
シート生地色は両端6両と中間5両で色分けされていて、製造メーカーの違いで異なっていた。第1・3編成は両端がレッド、中間がブルーという分け方で、第2・4編成はその逆という具合である。長野電鉄には後者の両端4両が譲渡されたので、あちらではブルーのシートしか存在しない。小田急に残ったのは前者なので、先頭車であるこの車両はレッドのシート生地ということになる。

先頭車車端部には「NSE」同様に車掌室が設けられている。「NSE」と異なり両側に配置されているが、その分狭くなっている気がする。一応、客室との間は自動扉で区切られている。引退当時の広告が残っているがブランドマークが記載されているほど比較的新しく、「SE」のやつほど古さを感じない。

貫通路はアクリル板で全体的に封印されている。そこから見下ろすと連接台車とモーターが見える。

展望室も立ち入り可能。右側にあるのは運転室へのステップ。この真上にハッチがあり、運転士はそこから出入りする。

展望室のシートはレッド・ブルーが交互に配置されている。このパターンも第1・3編成、第2・4編成で逆転している。

展望席最前列に座るとこんな感じに・・・開成駅前の「NSE」もそうだけど、やっぱり走ってこその展望席という気がする。実をいうと、筆者は今年5月に長野電鉄の「ゆけむり」に乗りに行って展望席最前列を味わったりしている。いずれレポートしてみたい。

ハイデッカー客室から展望室方面を見ると、かなり高低差があることがわかる。正面のブルーリボン賞プレートの右に禁煙プレートがあるが、ここの真下あたりに運転室へのハッチがある。ちなみに、長野電鉄のは中央にLEDの案内表示機が増設されたためブルーリボン賞プレートが左側に移動している。

逆に展望室からハイデッカー客室を見る。仕切り壁にハッチの状なものがあるが、全席指定のロマンスカーで使う機会があったのか不明だがジャンプシート(補助席)が格納されている。
展望室直後の扉は非常用なので現役当時は客扱いしていなかったが、ミュージアムではここから入るしかない。ちなみに、長野電鉄では常用しており、一応バリアフリー対応となっている。
●御殿場線乗り入れ専用機 5代目20000形「RSE」


車両紹介としてはラスト、5代目ロマンスカー、20000形「R(Resort)SE」。
「SE(SSE)」の後継として、1991年にデビューした御殿場線乗り入れ用のロマンスカー。「SE」の項でも書いたが、御殿場線乗り入れの後継車が国鉄末期のゴタゴタでなかなか進まず、「SSE」を延命工事してなんとか運用していたが、御殿場線がJR東海所有に変わったことでようやく動き出し、その際に「あさぎり」従来よりもグレードアップすることになった。
・従来は小田急からの片乗り入れだったが、JR東海との相互乗り入れとする。
・乗り入れ区間を御殿場から沼津まで延伸。
・「SSE」時代は御殿場線は急行(小田急線内では「連絡急行」)扱いだったが、特急に格上げ。
・乗り入れ車両は客席数や設備を揃えたうえで、両社それぞれで制作する。
「RSE」はそんな流れで2本製作された。JRが制作する車両と設備などを共通化する必要があったため、連接車ではなく一般的な20mボギー車となった。7両編成は連接車11両編成ととほぼ同じ長さで、箱根湯本駅のホーム長に合わせた結果だ。最新の「GSE」もボギー車7両編成になっているのは同じ理由による。「HiSE」と同じハイデッカー構造に加え、小田急初のダブルデッカー(2階建て車)を採用で、やはりバブリーな仕様である。デビュー時にはバブル崩壊してしまったが・・・
JR東海の371系という共通仕様の車両(ただし、ハイデッカーは不採用)とともに、「RSE」は御殿場線直通の特急「あさぎり」を中心に活躍。普段は「RSE」の1本が「あさぎり」、もう1本は箱根特急という運用だったが、371系は1本しかなかったため検査時には「RSE」2本で運用していた。それ以外では多摩線の「ホームウェイ」に就いたりもしたが、江ノ島線は臨時列車程度でしか入線実績がなかった。また、臨時列車として沼津から先、身延線の富士宮まで乗り入れたこともあった。
「HiSE」と同じくハイデッカー構造、加えてダブルデッカー車が仇となり、改造されることもなく2012年、登場からわずか21年で早期引退になってしまった。また、バブル崩壊後の長引く不況で特に御殿場以西の利用低迷もあり、「MSE」が「RSE」の後任に就くと運転区間は御殿場までに縮小(特急扱いはそのまま)、相互乗り入れから片乗り入れに戻ってしまった。なお、「あさぎり」は2018年に「ふじさん」に改められている。
引退後は20002F(第2編成)が富士急行に譲渡され、3両編成に短縮+バリアフリー対応に改造のうえで「フジサン特急」として活躍中(コロナ禍により現在休車中)。余談だがJR371系も富士急行に譲渡されており、奇しくも富士山の北側で再開をはたしている。
小田急に残った20001F(第1編成)の先頭車(7号車)だけでなく、特徴でもあるダブルデッカー(4号車)の2両が喜多見の車両基地に保存され、そのままミュージアムに保存されることになった。なお、写真は小田原方から撮っているが本来は新宿寄りの先頭車で、「RSE」のみダブルデッカー車ともども方向転換のうえで保存されている。

「HiSE」で廃止された愛称表示機が復活した。時代に合わせて3色LED式。ちなみに、JR371系は幕式(イラスト入り)だった。

台車は住友金属製FS-546、軸箱を上下互い違いのリンクで支える「アルストム型」という方式を採用している。「RSE」はボギー車なので車体直結式(ダイレクトマウント)という違いはあるが、「LSE」「HiSE」も基本的には同じ台車を採用している(形式はそれぞれFS-508、FS-533)。
小田急では「アルストム型」台車を実に1954年(昭和29年)の2200形から採用しており、通勤車両では一貫してこれを使い続けてきたがロマンスカーは「SE」「NSE」では独自の方式を採用していた(前述)。「LSE」で足並みを揃えることになり「HiSE」「RSE」もそれに続いたが、その後はモノリンク式、軸梁式が通勤車両、ロマンスカー問わず採用されており、「アルストム型」は「RSE」で最後となった。

走行機器についても、「LSE」「HiSE」と同じものが使われ先進性よりも信頼性を重視している。主抵抗器(写真)は強制通風式に変更され、その見た目は国鉄113系のそれに非常に似ていて古風な印象。

「HiSE」と同じくハイデッカー構造なので、(特に車高が低い「SE」を見た後だと)傍に立ってみるとかなり「デカイ」印象。
塗装はホワイトにパステル調のオーシャンブルーとオーキッドレッド(「HiSE」のそれとは色調が異なる)という組み合わせで、前述した「HiSE」登場時のホワイトはこちらに近かった(写真では照明や光量の問題でアイボリーっぽくなってしまったけど)。

「HiSE」でも同じ処理が見られるが、窓の間にもガラスが貼られているので側面に連続感がある。次の30000形「EXE」でも処理は変わったものの連続窓風に見せており、その後のロマンスカーもこの点は一貫している。

「RSE」は2両どちらからでも車内に入れる。

「HiSE」でも見られる(ここに保存されているやつには無いが)、デッキ部分のステップ。これでだいたい50cmほどホームより高くなるが、見てのとおり車椅子が入る余地はなくバリアフリー法は容赦なく「HiSE」ともども「NO」を突き付けてしまった。
しかし、富士急に譲渡された車両は(簡単ではないと思うが)一部を平屋に改造してバリアフリー対応にしているので、小田急でも改造できないことはなかったはずだ。それでも早期廃車になってしまったのは走行機器類が古く改造コストに見合わないこと、「RSE」に関しては「あさぎり」の沼津方の利用が低迷していたことも理由かもしれない。要するに、バリアフリー法だけが原因ではないのだろう。

先頭車には完全に入ることができ着席も可能だ。写真は先頭部から連結部方向を撮ったもの。「Resort」の名を冠しているが、明るいグレーのシート生地はどちらかといえば都会的でビジネス特急っぽい雰囲気ではある(正直「EXE」よりもビジネスライクに感じる)。

とはいえ、窓がとても大きくて特に自然が多い山北~御殿場間や、その先の富士山が見られるエリアでは効果を発揮したことだろう(筆者は新宿~町田でしか乗ったことがない)。また、本線特急と比べても沼津までは長距離長時間であるためか、伝統の折り畳みテーブル(窓下の壁にあるやつ)のほか、背面テーブルも用意された。なお、「HiSE」もそうだがテーブル類はすべて固定されており展開できない。

「SE」と同様に先頭部にデッキはなく、運転室直後から客室になっている。展望室ではないものの、見てのとおり仕切りの窓は大きく取られハイデッカー構造ということもあって、展望室付きロマンスカーと比べても引けを取らない展望だ。最前列しか恩恵にあやかれそうにないが、展望室付きでも2列目以降は大して展望は望めないのが実態だ。
左の荷棚にクリップ式のファンが付けられているが(これだけではなく複数個所にある)、このご時世なので換気のために付けられているのだろう。

運転室が視界に入るのを展望の邪魔とするか、さらにオイシイ要素とするか。筆者は後者かな。運転手の操作、計器類の動きも見ながら展望を楽しめるので。もっとも、2階に運転席を上げるのは小田急くらいしかやっていなく、他社の展望車両は「RSE」スタイルが多い。

元4号車のダブルデッカー車20151。展示場所全体がプラットホーム状になっているので下部は全く見えない。


先頭車(上段写真左)とダブルデッカー車デッキの間には喫茶カウンターがある。コーヒーマシン、電子レンジもそのまま残っている(開けることはできない)。
注文を座席まで届けてくれる「走る喫茶室」は1995年に終了したので、「RSE」では4年ほどしか実施していなかったことになる。その後は一般的なワゴン販売スタイルとなり、2005年登場の「VSE」では「走る喫茶室」システムを復活させたものの、時代に合わなかったのか長続きしなかった。そして今年の3月に車内販売も中止。コロナ禍の影響もあると思うが、その前からJRでも縮小傾向だったし、ロマンスカー内での飲食物の提供は事実上終了したといっていいだろう。
いまや駅の中でも外でもカフェに困らなければ、改札内の売店もコンビニ並みの時代。筆者も(「走る喫茶室」的な)そのものを目的にしない限り、他社の特急でも駅で買って持ち込んでしまう。いつ来るかわからない車内販売はぶっちゃけ不便だし。そんな行動は筆者だけではないと考えれば、こうしたサービスが維持できないのはやむを得ないし、終了した判断を責めるつもりもない。

デッキ部からは他社のダブルデッカー車と同様、2階席と階下席に分かれる。写真は2階席で2+1列のゆったりとしたシートを持ち、JR線内ではグリーン車扱い、小田急線内では「スーパーシート」と呼ばれた。小田急初の2クラス制だった。
ミュージアムでは階段までで客室内は入れない。筆者は2012年のさよならイベントで座ることができた(記事)。なお、当時の車両は20002Fだったのでミュージアム展示車両ではない。

階下席は眺望が望めないためか、グループ向けのセミコンパートメント(半個室)となっている。通路は電球色(LEDではないはずなので本当に電球だと思うが)で落ち着いた雰囲気がある。やはりこちらも入ることはできない。この奥側にはデッキはなく行き止まりで、ちょっとステップらしきものが見えるのは非常口があるためだ(前述の記事でも言及している)。

ダブルデッカー車のデッキは2両組の両端にあるだけなので、連結部分は2階で渡るようになっている。なので貫通路も高い位置にある。

当ミュージアムでパンタを備えているのはモハ1と「SE」、この「RSE」のみである。「HiSE」もそうだが、「RSE」はハイデッカー構造で屋根高さがあるためかコンパクトな下枠交差型が採用されている。初期の新幹線ではお馴染みだし、私鉄他社でも採用例があるが小田急では「HiSE」「RSE」、検測車両クヤ31の検測用パンタのみである。
次の「EXE」からは現在主流のシングルアームパンタになり、通勤車両では新形式のみならず従来形式もひし形からシングルアームに交換されていったが「HiSE」「RSE」は最後まで交換されることはなかった。ロマンスカーでは唯一、「LSE」がシングルアームに交換された経歴を持つ(9000形の廃車発生品を流用していた)。
●ミュージアムの他の設備
長かったが、車両についてはここまで。ここからはミュージアム内の設備を見ていきたい。

ミュージアムの最奥はシャッターになっており、ここから車両が搬入されたことがわかる。
写真左側、「HiSE」のすぐ横の壁は車両基地の検収庫に隣接するくらい近いのだけど、営業線とはレールがつながっていない。よって、ミュージアムから新宿寄りに数百メートル程度の距離とはいえ、海老名検車区からトレーラーによる陸送が発生している。そのあたりの説明は写真中央付近のモニターに動画が公開されているので見てみるとよいだろう。狭いスペースにパズルのように車両を配置していった様子がわかるし、「RSE」のように方向転換した例もあるから大変だったようだ。

最奥のシャッターを背にして館内を撮るとこんな感じだ。「NSE」がいるレールの先は現在は前述のビデオ閲覧コーナーになっているが、見た感じ20m車1両分くらいのスペースはありそう。順番通りなら次は「EXE」ということになるがはたして・・・ただ、今後のことを考えると余裕無さすぎなような。


「RSE」のダブルデッカー車横あたりから2階に戻る動線となるが、上がる前に「ロマンスカーアカデミア」というコーナーがある。パネル展示程度で個人的には「アカデミア」というほど充実してない気もするが、2018年に完成した複々線、とくに下北沢周辺については模型が作られるなど力が入っている模様。ロマンスカーに直接関係ない展示とはいえ、計画から苦節50年ですからね・・・一応、新宿~小田原間60分切りの立役者でもあるし、個人的には「まあ多少はね」。

2層式地下駅となった下北沢駅の模型。上層が緩行線、下層が急行線で駅の前後で複々線の内側・外側を入れ替える構造になっている。模型はBトレで「VSE」と5000形が配置してあるが、後者は下北沢付近完成前に引退してしまったのでこのように走ったことはない。

壁には小田急の年表が掲示してある。複々線関係以外、これくらいしかないのだった。

2階に戻るとジオラマコーナーとなる。全体的に暗いが、1日の時間経過が再現されている。「コ」の字型のHOゲージレイアウトに小田急沿線各所が所狭しと再現されている。また、有料だが一部運転できる仕組みもある。写真左は箱根湯本駅。その先には箱根エリアも再現されている。

小田原駅。小田原城や駅ビルも再現されているが、後ろの新幹線と思しき路線には「GSE」が走っていた。まあ新幹線といえど他社の車両は出せなさそうだし。

海老名駅。写真では隠れてしまったがこのミュージアムもちゃんと作られているし、車両基地、奥のららぽーと、そして手前には「ビナウォーク」も再現されている。小田急が関わっている商業施設なので多少贔屓もあるだろうが、中庭の部分などかなり芸が細かい。ちなみに、開業日は2002年4月19日となるが年月だけならロマンスカーミュージアムと同じである。
「ビナウォーク」には以前、小田急模型の総本山みたいなグリーンマックスの店舗がありよく利用していた(現在は閉店。模型店はその後ポポンデッタが入った)。というか、「ビナウォーク」は横浜市住みの現在でも割とよく来る方である。この日も帰りに「閃光のハサウェイ(2回目)」観て帰ったし。

先ほどの箱根湯本駅の反対側が新宿駅。有名どころの高層ビルや小田急百貨店のほか、手前には「思い出横丁」まで再現されている。

下北沢駅のあたりにモスクがあるが、これも有名かもしれない。このように、ここのジオラマには小田急マニア、なんなら堅気の沿線住民でも思わずニヤリとするネタがかなり盛り込まれている。1階のロマンスカー展示はもちろんだが、このジオラマの見ごたえも保証する。

相模大野駅付近に鎌倉エリア(左に大仏、右に鶴岡八幡宮)がありシュールな感じもするが、あまり違和感がない。狭いスペースに沿線の要素を数多く、しかも無理なく詰め込んでいて「上手い」としか言いようがない。自分でレイアウトを作成するときに(やるの?)参考になりそうだ。

ジオラマコーナーを抜けると、「GSE」を模したキッズスペースがある。もちろん、筆者のような「大きいお友達」単独では立入禁止である。

「LSE」実車(第3編成1号車)の運転席を使用した運転シミュレータ。抽選式で1プレイ500円である。この条件は「リニア鉄道館」と同じで、筆者は申し込んではみたもののどうせ当たらないと踏んでいたのだが、なんと今回は当たった!
平日で入場人数も少なかったし、妻の分も含めれば2口申し込んだことになるので当たらなかったら人間やめていいレベルだったのかもしれないが、くじ運ゼロの筆者には奇跡としか言いようがない(苦笑)。
右側には「SE」から外したと思われる座席が並んでいてギャラリーできるようになっているが、コロナの影響でプレイヤーと連れしか入れない。

というわけで運転席に座る。鉄道系シミュレータではよくある実写タイプで(筆者はゲーマーなのでCGによるものを好むが)、1回あたり15分程度走れる。区間は3区間から選べるが、筆者は初級の秦野→本厚木を選択。アップダウンが多く、3区間の中では難易度は高いとのこと。
マスコンハンドル、計器類はすべて実物である。片手操作のマスコンレバーはかなり重さがあり、右のマスコンレバーと左の手掛けには「デッドマンスイッチ」があることに気づく。実際には運転中は握っている必要があり(離すと気を失ったと判断され非常停止する仕組み)、シミュレータでは適用されないが実物だからこそ気づく仕掛けである。実写垂れ流しとはいえ、インターフェースがこうも良いと臨場感抜群だ。


道中は指示通りの速度調整で難なく走れたものの、終点の本厚木で21mもオーバーランして終了。PS4の「電車でGO!」はそれなり慣らしていたのだが、E235系のようなブレーキの効きはなく、残り50mで30km/hくらいまで落ちていたのに全然止まらねー!って感じ。2~3ノッチくらいではなく、もっと入れないとダメだったようだ。
「電車でGO!」でもそうだが、どれくらいのブレーキでどのくらい減速するかは初見ではわからないと言い訳してみるが、ゲーマーかつ鉄オタの筆者としては、こういう失態は沽券にかかわるのだよ(涙)。リベンジと行きたいところだが、今後果たして抽選に勝てるかどうか。

あとの館内設備は各種グッズが売っているミュージアムショップと、写真の「ミュージアムクラブハウス」というカフェがある。動線的には出場口の先にあるので、冒頭で書いたようにミュージアム利用者でなくても利用することができる(再入場できるかどうかはわからない)。

メニューはかつての「走る喫茶室」を思わせる日東紅茶とクールケーキのほか、展示ロマンスカー5形式のフォトリアルなラテが用意されている。妻の分も含めて、クールケーキと「SE」「NSE」のラテを注文した。


座席によっては、海老名駅を通過・停車する列車を見られる。検収庫から3000形が出てきたのでパンタ周辺を撮ってみた。資料集めにもピッタリかも?(本数が少なすぎるが・・・)
●探訪を終えて
それにしても長い記事になってしまった。撮ってきた写真並べて思いのまま、勢いのままに書いてきたのだけど、改めて小田急、ロマンスカーが好きなんだと我ながら実感した。模型のレビューでもいろいろ書いてきたけど今回の記事は集大成って気がする。少なくとも今回紹介したロマンスカーについては当面書かなくていいかも(苦笑)。
さて、ここまでの本文ボリュームからしても今回の探訪には大いに満足しているのだけど、そのうえでこのミュージアムに感じた「不満」と「不安」についても書いておこう。
まず「不満」だが、展示された5形式に終始してしまっている印象を受けた。確かに実車展示コーナーだけでも十分と思える見ごたえはあるが、「"ロマンスカー"ミュージアム」を名乗るのであれば現行車種や「SE」より前のロマンスカー(1910形、1700形、2300形)について少しは触れてもいい気がする。実車の保存は無理にしても(前者は現役だし、後者は現存車両がない)、例えば大型模型の展示、せめてパネル展示くらいで紹介してもバチは当たらないと思う。
「SE」より前の形式は公式にはロマンスカーとして認められていないから触れません!といっても、ミュージアムショップにはこれらの鉄コレが山積みになっているのは皮肉に感じた。
正直なところ、車両展示とジオラマ以外は「京王れーるランド」の方が充実している気がする。まあ、開業してまだ数ヶ月なので、スペースの都合もあると思うけど今後に期待したい。
次に「不安」な点は拡張性がまったくないところ。次は「EXE」か、早期引退の噂がある「VSE」か、どちらが先に引退するのかはわからないが、本文中にも書いたとおり、1両程度しか追加展示できるスペースがないのが実態だ。そして、冒頭で書いた通り海老名駅前というアクセス至便な駅前にあるというのが拡張性に関しては足枷で、建物を増築もしくは別館を作る余地もまったくない。駅から離れればまだ別館が作れる程度の土地はありそうだが集客が厳しそうだ。
筆者が死んだ後だって「ロマンスカー」はずっと続くと信じているし、現行の「MSE」「GSE」も含め引退したロマンスカー、いや通勤車両だって可能な限りここに集結して欲しいと思っているが、ミュージアムの立地はそんな夢に対して厳しい現実、心許なさを容赦なく見せつける。今後新しく車両を収蔵するから既存の収蔵車両を撤去・解体します、みたいのは絶対にやめてほしい。
なんかよくない印象になってしまったが、繰り返すが基本的には十分満足できる内容だったことは確かで、今回の探訪ではミュージアム内を2周してるし、実に300枚以上の写真を撮るくらい夢中になっていた。そのへんはこの記事の長さ、内容見てもらえばわかるかなとは思うので、まとめとしては多くを語らないでおきたい。
なにより、ロマンスカー中心とはいえ小田急初の常設ミュージアム、完全室内保存なので風雨にさらされることもなく、この先も安心して美しく保存された車両が間近で見られる。特に「SE」「NSE」「LSE」の3並び、ジオラマは一見の価値ありで、ファンならずとも一度は行くべしという感じ。海老名という場所も手軽だし、現在は予約制がネックだがそのうち普通に入れるようになったら、海老名に来るたび入ってしまいそうだ。
●ハイデッカー構造、塗装一新 4代目10000形「HiSE」

お次は4代目ロマンスカー、10000形「Hi(High)SE」。唯一小文字が入り「はいえすいー」と読む。
1987年に小田急60周年を記念して製作されたロマンスカーで、連接構造の11両編成である点は「NSE」「LSE」と同じだが、見てのとおりオレンジバーミリオンの塗装は一新された。4本が製造されたが置き換え車両なしの純増であり、なんともバブリー(実際バブルの真っ只中だったのだが)な印象だ。
「Hi」には「上位の」とかの意味もあるが、愛称の由来であり最大の特徴でもある、床下高さを上げて眺望を重視した「ハイデッカー構造」にある。当時の観光バスやJRジョイフルトレイン等でも流行っていた構造で、「SE」当時の低重心構造から大きくコンセプトが変わったことになるが、「LSE」同様に高速化どころではない環境だったことから、それよりは快適性、眺望性を重視する設計としたのだろう。もっとも、「LSE」の項で書いたことの繰り返しになるが、仮に「HiSE」が現存していても60分切りには問題なかったはずである。
前面展望室だけでなく一般座席からの眺望性も向上させた、観光用としてはこの上ない内容のロマンスカーだったが、不運なことに後にバリアフリー法が施行され、車内に入るには階段を利用しなければならない(=車椅子で乗れない)ハイデッカー構造が仇となり、改造することもできたと思うが見送られ、登場からわずか25年、2012年に早期引退の憂き目にあってしまった。
2005年に「VSE」により2本が置き換えられ、その際引退した10021F(第2編成)、10061F(第4編成)は長野電鉄に譲渡され、4両編成に短縮されたうえで現在も現地の特急「ゆけむり」として活躍中。小田急に残ったうち10001F(第1編成)が中間車含めて3両が喜多見の車両基地で保存されていたが、ミュージアムには新宿寄り先頭車10001のみが保存される結果となった。
1両だけ端にポツンと置いてある感じなので、特に3両保存の「SE」「NSE」の後に見ると車体の短さも相まって、いささか寂しい印象を受ける(「LSE」は1両とはいえ、そのへんうまく隠せている)。

灯火類の意匠は「LSE」と似ているが、ロマンスカーとして初めて前面の愛称表示機(ヘッドマーク)が省略されたスタイルとなった。近年はJRや他私鉄含めてヘッドマークは省略するのが主流であり、その意味では時代を先取りしていたのかもしれない。現役のロマンスカーでも前面に愛称表示機が残っているのは「EXE」未更新車と「MSE」だけだ。

ミュージアム内の位置関係はこんな感じ。「SE」と同一線上に位置している。

前面窓は「LSE」よりもさらに鋭い38度で、「NSE」「LSE」では後退していた2階運転室は展望室と同一面になった。後継の「VSE」「GSE」もそうなっているが、同じように2階運転室、展望室を持つ名鉄「パノラマカー」やJR初期のジョイフルトレインなどは後退があるので、同一面にあるのは小田急のみである。というか、2階運転室の展望室スタイルは小田急しか続けていないので、他は進化を見ようにも見れないのだが。
展望席部分の床はホームより低い位置にあるが(ここだけプチ低重心構造)、客用扉から後ろはハイデッカー構造になっていることがわかる。愛称表示機は側面に移されたこともわかる(愛称表示だけで行先表示機ではない。また、中間車にはない)。
秀逸だと思うのは塗装の塗りわけで、窓高さの変化をうまく処理できていると思う。特に窓下の太帯が引き締めているというか、ハイデッカー車にありがちな腰高感をうまく隠せている。

塗装についてちょっと触れると、展示車両、すなわち晩年期はアイボリーを基本に窓回りがパステルレッド、太帯と下回りがかなり濃いワインレッドという感じだが(※公式の色名ではなく筆者が勝手に呼んでるだけ)、登場時は塗り分けこそ変わっていないがピュアホワイトに近く、窓回りはもっと鮮烈な赤で、太帯と下回りはやや濃い程度の赤であまり差がない印象だった(それぞれ公式にロイヤルレッド、オーキッドレッドと呼称)。
いつから色調が変わったのかはっきりしないが、書籍をいろいろ漁ると2008年ごろ、側面にブランドマーク(展示車では剥された)が貼り付けされたあたりから変わったようだ。ちなみにこの色調、小田急60周年に発売された「小田急ものがたり」という書籍があるのだけど、その表紙に描かれた「HiSE」イラストの色調に酷似している気がする(気になる方は書名で画像検索してほしい)。当初はイラストとは違う色調になってしまったけど、晩年はせっかくなので再現してみよう、となったのかもしれない。


連接車を1両だけ保存すると「こうなる」。
1両しか展示されなかった「HiSE」だが、ここはチェックしておくべきポイント。むき出しの妻面に連接台車だ。まさに2両で1台車を共有し、連結部中心=台車中心であることがわかる。「LSE」も同じようになっているはずだが前述のとおり見ることはできない。

今見ても古さを感じさせないボディとは対照的に、床下にはいかつい主抵抗器がびっしり並ぶ。
同時期に登場した通勤車1000形では小田急初のVVVFインバータを採用していたが、「HiSE」はメカニズム的には「LSE」とほとんど同じであり、新しさよりも信頼性を重視した設計だった。
なお、ハイデッカー構造になったため空調装置は床下に搭載されている。

「SE」「NSE」はデッキ部分までだったが、「HiSE」は完全に車内を見学できる。カーテンは撤去されているし折り畳みテーブルも固定されているが、シートへの着席はOKだ。.

シートは回転クロスシートでリクライニングはない。「LSE」ではリクライニングが採用されていたが、「HiSE」は諸事情で採用されなかった。シートバックは適切な角度が付けられており、座りこごちは全く問題ない。
シート生地色は両端6両と中間5両で色分けされていて、製造メーカーの違いで異なっていた。第1・3編成は両端がレッド、中間がブルーという分け方で、第2・4編成はその逆という具合である。長野電鉄には後者の両端4両が譲渡されたので、あちらではブルーのシートしか存在しない。小田急に残ったのは前者なので、先頭車であるこの車両はレッドのシート生地ということになる。

先頭車車端部には「NSE」同様に車掌室が設けられている。「NSE」と異なり両側に配置されているが、その分狭くなっている気がする。一応、客室との間は自動扉で区切られている。引退当時の広告が残っているがブランドマークが記載されているほど比較的新しく、「SE」のやつほど古さを感じない。

貫通路はアクリル板で全体的に封印されている。そこから見下ろすと連接台車とモーターが見える。

展望室も立ち入り可能。右側にあるのは運転室へのステップ。この真上にハッチがあり、運転士はそこから出入りする。

展望室のシートはレッド・ブルーが交互に配置されている。このパターンも第1・3編成、第2・4編成で逆転している。

展望席最前列に座るとこんな感じに・・・開成駅前の「NSE」もそうだけど、やっぱり走ってこその展望席という気がする。実をいうと、筆者は今年5月に長野電鉄の「ゆけむり」に乗りに行って展望席最前列を味わったりしている。いずれレポートしてみたい。

ハイデッカー客室から展望室方面を見ると、かなり高低差があることがわかる。正面のブルーリボン賞プレートの右に禁煙プレートがあるが、ここの真下あたりに運転室へのハッチがある。ちなみに、長野電鉄のは中央にLEDの案内表示機が増設されたためブルーリボン賞プレートが左側に移動している。

逆に展望室からハイデッカー客室を見る。仕切り壁にハッチの状なものがあるが、全席指定のロマンスカーで使う機会があったのか不明だがジャンプシート(補助席)が格納されている。
展望室直後の扉は非常用なので現役当時は客扱いしていなかったが、ミュージアムではここから入るしかない。ちなみに、長野電鉄では常用しており、一応バリアフリー対応となっている。
●御殿場線乗り入れ専用機 5代目20000形「RSE」


車両紹介としてはラスト、5代目ロマンスカー、20000形「R(Resort)SE」。
「SE(SSE)」の後継として、1991年にデビューした御殿場線乗り入れ用のロマンスカー。「SE」の項でも書いたが、御殿場線乗り入れの後継車が国鉄末期のゴタゴタでなかなか進まず、「SSE」を延命工事してなんとか運用していたが、御殿場線がJR東海所有に変わったことでようやく動き出し、その際に「あさぎり」従来よりもグレードアップすることになった。
・従来は小田急からの片乗り入れだったが、JR東海との相互乗り入れとする。
・乗り入れ区間を御殿場から沼津まで延伸。
・「SSE」時代は御殿場線は急行(小田急線内では「連絡急行」)扱いだったが、特急に格上げ。
・乗り入れ車両は客席数や設備を揃えたうえで、両社それぞれで制作する。
「RSE」はそんな流れで2本製作された。JRが制作する車両と設備などを共通化する必要があったため、連接車ではなく一般的な20mボギー車となった。7両編成は連接車11両編成ととほぼ同じ長さで、箱根湯本駅のホーム長に合わせた結果だ。最新の「GSE」もボギー車7両編成になっているのは同じ理由による。「HiSE」と同じハイデッカー構造に加え、小田急初のダブルデッカー(2階建て車)を採用で、やはりバブリーな仕様である。デビュー時にはバブル崩壊してしまったが・・・
JR東海の371系という共通仕様の車両(ただし、ハイデッカーは不採用)とともに、「RSE」は御殿場線直通の特急「あさぎり」を中心に活躍。普段は「RSE」の1本が「あさぎり」、もう1本は箱根特急という運用だったが、371系は1本しかなかったため検査時には「RSE」2本で運用していた。それ以外では多摩線の「ホームウェイ」に就いたりもしたが、江ノ島線は臨時列車程度でしか入線実績がなかった。また、臨時列車として沼津から先、身延線の富士宮まで乗り入れたこともあった。
「HiSE」と同じくハイデッカー構造、加えてダブルデッカー車が仇となり、改造されることもなく2012年、登場からわずか21年で早期引退になってしまった。また、バブル崩壊後の長引く不況で特に御殿場以西の利用低迷もあり、「MSE」が「RSE」の後任に就くと運転区間は御殿場までに縮小(特急扱いはそのまま)、相互乗り入れから片乗り入れに戻ってしまった。なお、「あさぎり」は2018年に「ふじさん」に改められている。
引退後は20002F(第2編成)が富士急行に譲渡され、3両編成に短縮+バリアフリー対応に改造のうえで「フジサン特急」として活躍中(コロナ禍により現在休車中)。余談だがJR371系も富士急行に譲渡されており、奇しくも富士山の北側で再開をはたしている。
小田急に残った20001F(第1編成)の先頭車(7号車)だけでなく、特徴でもあるダブルデッカー(4号車)の2両が喜多見の車両基地に保存され、そのままミュージアムに保存されることになった。なお、写真は小田原方から撮っているが本来は新宿寄りの先頭車で、「RSE」のみダブルデッカー車ともども方向転換のうえで保存されている。

「HiSE」で廃止された愛称表示機が復活した。時代に合わせて3色LED式。ちなみに、JR371系は幕式(イラスト入り)だった。

台車は住友金属製FS-546、軸箱を上下互い違いのリンクで支える「アルストム型」という方式を採用している。「RSE」はボギー車なので車体直結式(ダイレクトマウント)という違いはあるが、「LSE」「HiSE」も基本的には同じ台車を採用している(形式はそれぞれFS-508、FS-533)。
小田急では「アルストム型」台車を実に1954年(昭和29年)の2200形から採用しており、通勤車両では一貫してこれを使い続けてきたがロマンスカーは「SE」「NSE」では独自の方式を採用していた(前述)。「LSE」で足並みを揃えることになり「HiSE」「RSE」もそれに続いたが、その後はモノリンク式、軸梁式が通勤車両、ロマンスカー問わず採用されており、「アルストム型」は「RSE」で最後となった。

走行機器についても、「LSE」「HiSE」と同じものが使われ先進性よりも信頼性を重視している。主抵抗器(写真)は強制通風式に変更され、その見た目は国鉄113系のそれに非常に似ていて古風な印象。

「HiSE」と同じくハイデッカー構造なので、(特に車高が低い「SE」を見た後だと)傍に立ってみるとかなり「デカイ」印象。
塗装はホワイトにパステル調のオーシャンブルーとオーキッドレッド(「HiSE」のそれとは色調が異なる)という組み合わせで、前述した「HiSE」登場時のホワイトはこちらに近かった(写真では照明や光量の問題でアイボリーっぽくなってしまったけど)。

「HiSE」でも同じ処理が見られるが、窓の間にもガラスが貼られているので側面に連続感がある。次の30000形「EXE」でも処理は変わったものの連続窓風に見せており、その後のロマンスカーもこの点は一貫している。

「RSE」は2両どちらからでも車内に入れる。

「HiSE」でも見られる(ここに保存されているやつには無いが)、デッキ部分のステップ。これでだいたい50cmほどホームより高くなるが、見てのとおり車椅子が入る余地はなくバリアフリー法は容赦なく「HiSE」ともども「NO」を突き付けてしまった。
しかし、富士急に譲渡された車両は(簡単ではないと思うが)一部を平屋に改造してバリアフリー対応にしているので、小田急でも改造できないことはなかったはずだ。それでも早期廃車になってしまったのは走行機器類が古く改造コストに見合わないこと、「RSE」に関しては「あさぎり」の沼津方の利用が低迷していたことも理由かもしれない。要するに、バリアフリー法だけが原因ではないのだろう。

先頭車には完全に入ることができ着席も可能だ。写真は先頭部から連結部方向を撮ったもの。「Resort」の名を冠しているが、明るいグレーのシート生地はどちらかといえば都会的でビジネス特急っぽい雰囲気ではある(正直「EXE」よりもビジネスライクに感じる)。

とはいえ、窓がとても大きくて特に自然が多い山北~御殿場間や、その先の富士山が見られるエリアでは効果を発揮したことだろう(筆者は新宿~町田でしか乗ったことがない)。また、本線特急と比べても沼津までは長距離長時間であるためか、伝統の折り畳みテーブル(窓下の壁にあるやつ)のほか、背面テーブルも用意された。なお、「HiSE」もそうだがテーブル類はすべて固定されており展開できない。

「SE」と同様に先頭部にデッキはなく、運転室直後から客室になっている。展望室ではないものの、見てのとおり仕切りの窓は大きく取られハイデッカー構造ということもあって、展望室付きロマンスカーと比べても引けを取らない展望だ。最前列しか恩恵にあやかれそうにないが、展望室付きでも2列目以降は大して展望は望めないのが実態だ。
左の荷棚にクリップ式のファンが付けられているが(これだけではなく複数個所にある)、このご時世なので換気のために付けられているのだろう。

運転室が視界に入るのを展望の邪魔とするか、さらにオイシイ要素とするか。筆者は後者かな。運転手の操作、計器類の動きも見ながら展望を楽しめるので。もっとも、2階に運転席を上げるのは小田急くらいしかやっていなく、他社の展望車両は「RSE」スタイルが多い。

元4号車のダブルデッカー車20151。展示場所全体がプラットホーム状になっているので下部は全く見えない。


先頭車(上段写真左)とダブルデッカー車デッキの間には喫茶カウンターがある。コーヒーマシン、電子レンジもそのまま残っている(開けることはできない)。
注文を座席まで届けてくれる「走る喫茶室」は1995年に終了したので、「RSE」では4年ほどしか実施していなかったことになる。その後は一般的なワゴン販売スタイルとなり、2005年登場の「VSE」では「走る喫茶室」システムを復活させたものの、時代に合わなかったのか長続きしなかった。そして今年の3月に車内販売も中止。コロナ禍の影響もあると思うが、その前からJRでも縮小傾向だったし、ロマンスカー内での飲食物の提供は事実上終了したといっていいだろう。
いまや駅の中でも外でもカフェに困らなければ、改札内の売店もコンビニ並みの時代。筆者も(「走る喫茶室」的な)そのものを目的にしない限り、他社の特急でも駅で買って持ち込んでしまう。いつ来るかわからない車内販売はぶっちゃけ不便だし。そんな行動は筆者だけではないと考えれば、こうしたサービスが維持できないのはやむを得ないし、終了した判断を責めるつもりもない。

デッキ部からは他社のダブルデッカー車と同様、2階席と階下席に分かれる。写真は2階席で2+1列のゆったりとしたシートを持ち、JR線内ではグリーン車扱い、小田急線内では「スーパーシート」と呼ばれた。小田急初の2クラス制だった。
ミュージアムでは階段までで客室内は入れない。筆者は2012年のさよならイベントで座ることができた(記事)。なお、当時の車両は20002Fだったのでミュージアム展示車両ではない。

階下席は眺望が望めないためか、グループ向けのセミコンパートメント(半個室)となっている。通路は電球色(LEDではないはずなので本当に電球だと思うが)で落ち着いた雰囲気がある。やはりこちらも入ることはできない。この奥側にはデッキはなく行き止まりで、ちょっとステップらしきものが見えるのは非常口があるためだ(前述の記事でも言及している)。

ダブルデッカー車のデッキは2両組の両端にあるだけなので、連結部分は2階で渡るようになっている。なので貫通路も高い位置にある。

当ミュージアムでパンタを備えているのはモハ1と「SE」、この「RSE」のみである。「HiSE」もそうだが、「RSE」はハイデッカー構造で屋根高さがあるためかコンパクトな下枠交差型が採用されている。初期の新幹線ではお馴染みだし、私鉄他社でも採用例があるが小田急では「HiSE」「RSE」、検測車両クヤ31の検測用パンタのみである。
次の「EXE」からは現在主流のシングルアームパンタになり、通勤車両では新形式のみならず従来形式もひし形からシングルアームに交換されていったが「HiSE」「RSE」は最後まで交換されることはなかった。ロマンスカーでは唯一、「LSE」がシングルアームに交換された経歴を持つ(9000形の廃車発生品を流用していた)。
●ミュージアムの他の設備
長かったが、車両についてはここまで。ここからはミュージアム内の設備を見ていきたい。

ミュージアムの最奥はシャッターになっており、ここから車両が搬入されたことがわかる。
写真左側、「HiSE」のすぐ横の壁は車両基地の検収庫に隣接するくらい近いのだけど、営業線とはレールがつながっていない。よって、ミュージアムから新宿寄りに数百メートル程度の距離とはいえ、海老名検車区からトレーラーによる陸送が発生している。そのあたりの説明は写真中央付近のモニターに動画が公開されているので見てみるとよいだろう。狭いスペースにパズルのように車両を配置していった様子がわかるし、「RSE」のように方向転換した例もあるから大変だったようだ。

最奥のシャッターを背にして館内を撮るとこんな感じだ。「NSE」がいるレールの先は現在は前述のビデオ閲覧コーナーになっているが、見た感じ20m車1両分くらいのスペースはありそう。順番通りなら次は「EXE」ということになるがはたして・・・ただ、今後のことを考えると余裕無さすぎなような。


「RSE」のダブルデッカー車横あたりから2階に戻る動線となるが、上がる前に「ロマンスカーアカデミア」というコーナーがある。パネル展示程度で個人的には「アカデミア」というほど充実してない気もするが、2018年に完成した複々線、とくに下北沢周辺については模型が作られるなど力が入っている模様。ロマンスカーに直接関係ない展示とはいえ、計画から苦節50年ですからね・・・一応、新宿~小田原間60分切りの立役者でもあるし、個人的には「まあ多少はね」。

2層式地下駅となった下北沢駅の模型。上層が緩行線、下層が急行線で駅の前後で複々線の内側・外側を入れ替える構造になっている。模型はBトレで「VSE」と5000形が配置してあるが、後者は下北沢付近完成前に引退してしまったのでこのように走ったことはない。

壁には小田急の年表が掲示してある。複々線関係以外、これくらいしかないのだった。

2階に戻るとジオラマコーナーとなる。全体的に暗いが、1日の時間経過が再現されている。「コ」の字型のHOゲージレイアウトに小田急沿線各所が所狭しと再現されている。また、有料だが一部運転できる仕組みもある。写真左は箱根湯本駅。その先には箱根エリアも再現されている。

小田原駅。小田原城や駅ビルも再現されているが、後ろの新幹線と思しき路線には「GSE」が走っていた。まあ新幹線といえど他社の車両は出せなさそうだし。

海老名駅。写真では隠れてしまったがこのミュージアムもちゃんと作られているし、車両基地、奥のららぽーと、そして手前には「ビナウォーク」も再現されている。小田急が関わっている商業施設なので多少贔屓もあるだろうが、中庭の部分などかなり芸が細かい。ちなみに、開業日は2002年4月19日となるが年月だけならロマンスカーミュージアムと同じである。
「ビナウォーク」には以前、小田急模型の総本山みたいなグリーンマックスの店舗がありよく利用していた(現在は閉店。模型店はその後ポポンデッタが入った)。というか、「ビナウォーク」は横浜市住みの現在でも割とよく来る方である。この日も帰りに「閃光のハサウェイ(2回目)」観て帰ったし。

先ほどの箱根湯本駅の反対側が新宿駅。有名どころの高層ビルや小田急百貨店のほか、手前には「思い出横丁」まで再現されている。

下北沢駅のあたりにモスクがあるが、これも有名かもしれない。このように、ここのジオラマには小田急マニア、なんなら堅気の沿線住民でも思わずニヤリとするネタがかなり盛り込まれている。1階のロマンスカー展示はもちろんだが、このジオラマの見ごたえも保証する。

相模大野駅付近に鎌倉エリア(左に大仏、右に鶴岡八幡宮)がありシュールな感じもするが、あまり違和感がない。狭いスペースに沿線の要素を数多く、しかも無理なく詰め込んでいて「上手い」としか言いようがない。自分でレイアウトを作成するときに(やるの?)参考になりそうだ。

ジオラマコーナーを抜けると、「GSE」を模したキッズスペースがある。もちろん、筆者のような「大きいお友達」単独では立入禁止である。

「LSE」実車(第3編成1号車)の運転席を使用した運転シミュレータ。抽選式で1プレイ500円である。この条件は「リニア鉄道館」と同じで、筆者は申し込んではみたもののどうせ当たらないと踏んでいたのだが、なんと今回は当たった!
平日で入場人数も少なかったし、妻の分も含めれば2口申し込んだことになるので当たらなかったら人間やめていいレベルだったのかもしれないが、くじ運ゼロの筆者には奇跡としか言いようがない(苦笑)。
右側には「SE」から外したと思われる座席が並んでいてギャラリーできるようになっているが、コロナの影響でプレイヤーと連れしか入れない。

というわけで運転席に座る。鉄道系シミュレータではよくある実写タイプで(筆者はゲーマーなのでCGによるものを好むが)、1回あたり15分程度走れる。区間は3区間から選べるが、筆者は初級の秦野→本厚木を選択。アップダウンが多く、3区間の中では難易度は高いとのこと。
マスコンハンドル、計器類はすべて実物である。片手操作のマスコンレバーはかなり重さがあり、右のマスコンレバーと左の手掛けには「デッドマンスイッチ」があることに気づく。実際には運転中は握っている必要があり(離すと気を失ったと判断され非常停止する仕組み)、シミュレータでは適用されないが実物だからこそ気づく仕掛けである。実写垂れ流しとはいえ、インターフェースがこうも良いと臨場感抜群だ。


道中は指示通りの速度調整で難なく走れたものの、終点の本厚木で21mもオーバーランして終了。PS4の「電車でGO!」はそれなり慣らしていたのだが、E235系のようなブレーキの効きはなく、残り50mで30km/hくらいまで落ちていたのに全然止まらねー!って感じ。2~3ノッチくらいではなく、もっと入れないとダメだったようだ。
「電車でGO!」でもそうだが、どれくらいのブレーキでどのくらい減速するかは初見ではわからないと言い訳してみるが、ゲーマーかつ鉄オタの筆者としては、こういう失態は沽券にかかわるのだよ(涙)。リベンジと行きたいところだが、今後果たして抽選に勝てるかどうか。

あとの館内設備は各種グッズが売っているミュージアムショップと、写真の「ミュージアムクラブハウス」というカフェがある。動線的には出場口の先にあるので、冒頭で書いたようにミュージアム利用者でなくても利用することができる(再入場できるかどうかはわからない)。

メニューはかつての「走る喫茶室」を思わせる日東紅茶とクールケーキのほか、展示ロマンスカー5形式のフォトリアルなラテが用意されている。妻の分も含めて、クールケーキと「SE」「NSE」のラテを注文した。


座席によっては、海老名駅を通過・停車する列車を見られる。検収庫から3000形が出てきたのでパンタ周辺を撮ってみた。資料集めにもピッタリかも?(本数が少なすぎるが・・・)
●探訪を終えて
それにしても長い記事になってしまった。撮ってきた写真並べて思いのまま、勢いのままに書いてきたのだけど、改めて小田急、ロマンスカーが好きなんだと我ながら実感した。模型のレビューでもいろいろ書いてきたけど今回の記事は集大成って気がする。少なくとも今回紹介したロマンスカーについては当面書かなくていいかも(苦笑)。
さて、ここまでの本文ボリュームからしても今回の探訪には大いに満足しているのだけど、そのうえでこのミュージアムに感じた「不満」と「不安」についても書いておこう。
まず「不満」だが、展示された5形式に終始してしまっている印象を受けた。確かに実車展示コーナーだけでも十分と思える見ごたえはあるが、「"ロマンスカー"ミュージアム」を名乗るのであれば現行車種や「SE」より前のロマンスカー(1910形、1700形、2300形)について少しは触れてもいい気がする。実車の保存は無理にしても(前者は現役だし、後者は現存車両がない)、例えば大型模型の展示、せめてパネル展示くらいで紹介してもバチは当たらないと思う。
「SE」より前の形式は公式にはロマンスカーとして認められていないから触れません!といっても、ミュージアムショップにはこれらの鉄コレが山積みになっているのは皮肉に感じた。
正直なところ、車両展示とジオラマ以外は「京王れーるランド」の方が充実している気がする。まあ、開業してまだ数ヶ月なので、スペースの都合もあると思うけど今後に期待したい。
次に「不安」な点は拡張性がまったくないところ。次は「EXE」か、早期引退の噂がある「VSE」か、どちらが先に引退するのかはわからないが、本文中にも書いたとおり、1両程度しか追加展示できるスペースがないのが実態だ。そして、冒頭で書いた通り海老名駅前というアクセス至便な駅前にあるというのが拡張性に関しては足枷で、建物を増築もしくは別館を作る余地もまったくない。駅から離れればまだ別館が作れる程度の土地はありそうだが集客が厳しそうだ。
筆者が死んだ後だって「ロマンスカー」はずっと続くと信じているし、現行の「MSE」「GSE」も含め引退したロマンスカー、いや通勤車両だって可能な限りここに集結して欲しいと思っているが、ミュージアムの立地はそんな夢に対して厳しい現実、心許なさを容赦なく見せつける。今後新しく車両を収蔵するから既存の収蔵車両を撤去・解体します、みたいのは絶対にやめてほしい。
なんかよくない印象になってしまったが、繰り返すが基本的には十分満足できる内容だったことは確かで、今回の探訪ではミュージアム内を2周してるし、実に300枚以上の写真を撮るくらい夢中になっていた。そのへんはこの記事の長さ、内容見てもらえばわかるかなとは思うので、まとめとしては多くを語らないでおきたい。
なにより、ロマンスカー中心とはいえ小田急初の常設ミュージアム、完全室内保存なので風雨にさらされることもなく、この先も安心して美しく保存された車両が間近で見られる。特に「SE」「NSE」「LSE」の3並び、ジオラマは一見の価値ありで、ファンならずとも一度は行くべしという感じ。海老名という場所も手軽だし、現在は予約制がネックだがそのうち普通に入れるようになったら、海老名に来るたび入ってしまいそうだ。