ロマンスカーミュージアム探訪レポート(前編)
※今回は前後編ありますが、先に後編をアップしたので前編から下方に続けて読めるようにしました。
先日(といっても1ヶ月以上も前)、海老名にある「ロマンスカーミュージアム」に行ってきたのでレポートする。
小田急ではこれまで、ロマンスカーをはじめとした引退車両を車両基地などで保存していたが、過去にWeb上で3DCGによるバーチャル博物館は公開していたものの、リアルの常設型車両展示施設は持っていなかった(向ケ丘遊園内にあった鉄道資料館は車両展示施設ではないので除外。電気機関車は保存されていたが・・・)。下北沢付近の複々線完成で列車本数が増えたことにより、営業車両の邪魔になるということで保存車両の一部に解体が出始めてしまった頃、海老名に「ロマンスカーミュージアム」が建設されることが発表。2021年4月19日、小田急の車両基地がある海老名に爆誕した。
今回は7月の平日に行ってきたが、ゆったり見られたこともあって画像枚数100枚以上の本当に長い記事になってしまった。他にもミュージアムのレポート記事はあるかもしれないが、筆者なりに車両ごとのマニアックな見どころとか、思うままに書いてみたので参考になれば。
※あくまでも自分の目で確かめたい、という人にはネタバレ気味になってしまうかもなので、その場合は今回の記事はスルーしてください。
●いざ館内へ

木でできたロマンスカー風のオブジェ(近鉄「アーバンライナー」っぽく思わなくもない)が目立つ「ロマンスカーミュージアム」のエントランス。
小田急の海老名駅改札を出て、北口のJR海老名駅方面に進んですぐのところにある。平日ということもあって、この写真では全然人がいないように見えるが、筆者の後ろはJR相模線への乗り換えやららぽーと方面利用客でかなり人通りが激しかった。
コロナ禍中に開業したこともあって、8月現在でも予約制になっている。公式サイトからたどって予約し(Yahoo!アカウントが必要だと思った)、現地でスマホの予約画面を見せれば入場できる。入場時間は予約が取れた時間帯からとなるが、時間制限はないので閉館までは好きなだけ居ることができる。
左にあるメニューは併設されたカフェのもので、ここはミュージアムに入場しなくても利用できるし軽い食事ならできなくはないが、館内から利用できない(出口→カフェという動線になっている)ので、入場後は好きなだけ居られるといっても館内での食事はできないと思った方がよい。食事を済ませてから or 後で食事ということになるが、幸い海老名駅周辺には飲食店が大量にある。

JR海老名駅方面に向かうペデストリアンデッキから撮影、左の建物がロマンスカーミュージアム。
筆者は10年以上前、大宮の鉄道博物館ができたくらいだったか、もし小田急にもリアル展示施設ができるとしたら海老名だろうとは思っていた。小田急の車両基地があることに加え、なにより当時の海老名駅北口一帯は野原で何もなかったからである。しかし、「ららぽーと海老名」ができ、ロマンスカーが止まるようになり、相鉄が都心直結になるなどで、北口も一気にマンションや商業施設が立ち並ぶようになり、ロマンスカーミュージアム建設が発表されたのもそんな中の出来事だった。
筆者の予想(というか願望に近いな)では写真の手前にある空き地から奥のマンション建設現場あたりにできると踏んでいたが、実際には左の駅と市道に挟まれたちょっと狭めのスペースに落ち着いた。
駅から近い鉄道保存施設は特に珍しくもないのだが、都心にも横浜にも直結できて(微妙に遠いけどね・・・)、なんなら「住みたい街」にランキングされるまでになった海老名のような駅近くにできるのは異例かもしれない。常識的に考えたら、速攻でディベロッパーの餌食となりマンションや商業施設になってもおかしくない立地だからだ。

スマホの予約画面を見せて入場し、券売機でチケット(大人900円)購入後に受付に向かう。この木製の受付もロマンスカーっぽくて外の先頭部と揃えた位置関係になっているが、貫通はしていない。
ついでに、運転シミュレータの抽選券はここでもらえる。名古屋のリニア鉄道館では大敗北だったがはたして。
●小田急最古の車両、モハ1形

エントランスがある2Fからエスカレータで1Fに降りると、最初に現れるのがこのモハ1形。
いきなりロマンスカーじゃないんかい、とツッコミが入りそうだが、この車両は小田急(当時は小田原急行鉄道)が開通した1927年(昭和2年)に製造された、正真正銘「小田急初の車両」という由緒あるものである。戦後は1100形に形式変更し1959年(昭和34年)に熊本電鉄に譲渡され活躍していたが、後に小田急に里帰りして1984年に開業当時の姿に復元された(余談だが、復元当時に発売された記念切符は今でも持っている)。
その後はイベントで数回公開展示されるも、長らく喜多見の車両基地に保存されている状態が続いたが、このたびロマンスカーミュージアムで晴れて常設展示されることになった。実に製造から94年目、復元から37年目のことである。

この車両の存在は知っていたが、実物を見るのは今回が初めてだ。
この写真で筆者の背後の壁になんか意識高そうな動画がひたすら流れていたが、とにかく暗い場所なので撮影が苦しかった。
両運転台の車両であり、1~2両編成で運用されていた。車内には入れないが、一番手前のドアが開いているので運転台や木造の車内を見ることができる。全体がプラットホーム状になっているので下回りが一切見えないのが残念。

運転台はこんな感じ。メーターは圧力計のみ。椅子も自転車のサドルみたいだし(しかも木製)、仕切りはパイプのみ。シンプルなんてももんじゃないよ。

戦前生まれの車両なので当然だが、溶接ではなくリベット止めの車体、窓上下のシル・ヘッダ、窓の外側に取り付けられた保護棒など、茶色1色の塗装と相まって現在の車両・・・どころか、30~40年くらい前の車両にすらない別次元の味わいである。この時代の車両は乗ったことも見たこともない筆者にとって、懐かしさよりも新鮮さを感じてしまうほど。

この車両は主に新宿~稲田登戸間の近距離で使用されていたため、側面サボもそのように表示されている。「稲田登戸」は現在の向ケ丘遊園駅の旧名。
●まさに神々しいの具現

ミュージアム内には11両の車両が保存されている。さすがにJRの鉄道博物館御三家には及ばないものの、私鉄単独の保存施設でここまでの規模のものはない。
モハ1形は右上の「ヒストリーゾーン」にある。そこから暗くて狭い通路を抜けると・・・

うおおおお!!!


同館のキービジュアルにもなってる、バーミリオンオレンジのロマンスカー3並びだ。画像では何度か見ているものの、実際に目にするインパクトは大!
平日ということもあって、館内は非常にすいていた。非鉄の人が車両のまん前で記念撮影しているという「車両保存施設あるある」もほとんどなかった。
●レジェンドの中のレジェンド、初代3000形「SE(SSE)」


ここから、ひとつづつ車両を見ていこう。
まずは1957年(昭和32年)登場の3000形「SE(SuperExpress)」だ。実際にはこれよりも前から「ロマンスカー」と呼ばれる車両は存在しているので本意ではないが、小田急公式としてはこれを初代としているので、今回の記事ではそれに従うことにする。
8両編成4本が制作されたが、当時の電車は「(それこそ前述のモハ1型のように)四角くて茶色1色」というのが一般的な中、流線形にバーミリオンオレンジという外観がどれだけインパクトがあったかは当時を知らない筆者ですら容易に想像できる。外観のみならず2両で1台車を共有する連接構造を8両編成という異例の長さで採用し、白熱電球ではなくシールドビームを使用したヘッドライト、ディスクブレーキなど鉄道車両として新機軸がてんこ盛りで、「斬新」以外表現しようがないものだった。
なによりこの車両の神髄は新宿~小田原間60分切りを目指し、高速化にステ全振りしたような規格外の「軽量、低重心」構造にある。「速く走るものは軽く、重心は低く」というのはレーシングカーでも当たり前の考え方だが、それを昭和30年初頭に実現していたのだから恐れ入る。
その結果、国鉄に貸し出され東海道線で行った試験では145km/hの世界最高速度記録(当時の狭軌)をたたき出し、後の新幹線にも多大な影響を与えたといわれている。その新幹線ですら軽量・低重心の考え方が採用されたのは270km/h運転となった300系からであり、実に平成に入ってからの話である。
現行のロマンスカーはいずれも「軽量、低重心」でなくても60分切りを実現できているので(複々線化など、路線側の改善も大きい)、自動扉や冷房装置すら搭載しなかった「SE」の軽量・低重心は今にして思うとちょっと過剰に思えなくもないが、いずれにしても小田急どころか日本の鉄道史の中でもレジェンドの中のレジェンドといっても過言ではない存在だ。
一部重複内容があるかもしれないが、こちらの記事にも「SE」について書いた内容がある。
小田急ファミリー鉄道展2019


中間車1両を挟み、反対側の先頭車は顔つきが異なっている。
展望室付きの2代目「NSE」が登場し、「SE」は6年ほどでフラグシップから降りてしまうことになったが、以前からディーゼルカーで乗り入れていた国鉄(当時)御殿場線の電化されたことにより、その乗り入れ車両に「SE」が抜擢されることになった。
乗り入れ改造に伴い5両編成6本となり、先頭車に常用できる連結器を装備することで5+5のいわゆる「重連」に対応できるようにしたことと、「NSE」と共通の電照式愛称表示機を装備したこと、屋根上に冷房装置を搭載したことが主な改造内容である。歯車比も御殿場線に合わせた山岳寄りのセッティングにしたため、「軽量、低重心」は若干妥協することになった。
愛称表示機の設置でヘッドライトが左右離れた位置となり、飛び出した連結器カバーもあって顔つきがかなり変わった。この時の改造から引退するまでの姿がこちら側の先頭車である。編成が短くなったことから「S(Short)SE」と呼ばれることもある。
「NSE」が全編成揃い箱根特急を中心に活躍していたのに対し、「SE(SSE)」は目的である御殿場線直通列車「あさぎり」のほか、「さがみ」「えのしま」といったサブ的な運用に就いていた。筆者が「SSE」に乗っていたのはこの頃の「えのしま」だったので、そのイメージが強い。なお、稀に箱根特急で走ることもあった。
1980年に3代目「LSE」が登場すると「SSE」にも一部廃車が発生し、ほとんど「あさぎり」で運用されるようになったが、国鉄末期のゴタゴタで後継の御殿場線乗り入れ用車の目途が立たず、1984年に「車体修理」と呼ばれる内装のリフレッシュ、客用窓の固定化、外幌形状を「LSE」と同タイプにするなどの延命改造が4本に行われた。その後、御殿場線がJR東海管轄になると後継車両の話がトントン進み、1991年に「RSE」に置き換えられて「SSE」は引退となった。
他社への譲渡車両としては、1983年に3001F(第1編成)が動態保存目的で大井川鉄道に譲渡されて急行列車として活躍を始めたが、前述のとおり日本の鉄道の歴史に残る名車だったにも関わらず、同線を走るSLのような人気は得られず数年で運休、1989年には小田急に残った車両よりも先に解体されるという悲しい結末になってしまった。なお、この編成は車体修理が行われる前のものだった。
一方、小田急ではレジェンドな車両であるため、3021F(第3編成)を1編成丸々保存することに決定。新宿寄りの2両を「SE」の姿に復元の上、海老名に専用の保存庫を制作したうえで保存された。その後は何度かイベントで公開されたが(先にリンク貼った「小田急ファミリー鉄道展2019」もそれ)、最終的にはスペースの都合もあり残念ながら2両が解体されてしまったものの、1、4、5号車がこのミュージアムで保存されることになった。
なお、元「SE」の保存庫には現在通勤車両の保存車(2200形、2600形、9000形)が代わりに格納されていて、海老名駅近くの陸橋から窓を通して少しだけ見ることができる。


写真上の新宿寄りが登場時の姿「SE」、下の小田原寄りが晩年の姿「SSE」になっている。
「SSE」→「SE」への復元には顔つきや塗装だけでなく、乗務員室扉横の手すり形状変更、側面サボの撤去、屋根上の無線アンテナ撤去、前面から続く下部のスカート端形状も若干異なるなど、かなり徹底していることがわかる。ただし、客用窓の固定化、外幌形状、冷房の装備などは晩年のままである。

登場時「SE」の顔つきはヘッドライトが中央に2灯あり、金属プレートのヘッドマーク「乙女(フォントがカッコイイ)」が掲げられている。「SE」当時は発車時刻ごとに愛称が異なっており、箱根にちなんだ名前が付けられていた。「乙女」の場合、箱根と御殿場の間にある「乙女峠」から。
窓枠は銀色から「SE」当時のグレーに塗装され、ワイパーの位置も変更されている。
ヘッドライトは日本の鉄道車両として初めてシールドビームを採用した。アメリカでは主に自動車で使われていた、ライト本体とフィラメントが一体化したものである。交換は本体ごと行う必要があるが、白熱電球のヘッドライトを一気に過去のものとし、その後はHID、LEDが主流になるまで鉄道車両では当たり前の装備となった。

シンプルな登場時と比べ、「SSE」改造後は一転してゴテゴテした顔つきとなった。特にワイパー配置や白帯の塗装により生き物感があるというか、非常に「濃い」表情になっている。
ホームベース形状のヘッドマーク(愛称表示機)は「NSE」と共通の電照式で、筆者は新宿駅での交換作業を一度だけ見たことがあるが、周囲の銀色のフレームを開けて(よく見るとヒンジが付いてる)アクリル製のヘッドマーク板を交換する。

「SSE」改造後は連結器を備え、飛び出したカバーに覆われている。下部には電気連結器が露出している。連結時はこのカバーを外し、その左右にボディと組み合わせが悪い部分があるが、ここを左右にスライドさせて開口部が大きくなる仕組みだ。当然、新幹線のような自動ではなくすべて手動で行う。
特急用車両は「EXE」「MSE」のように分割併合等で「常用する」ものを除けば、「SE」顔や他のロマンスカーがそうであるように、前面の連結器は車体内に格納されていることがほとんどだ。「SSE」の場合は分割併合ではなく増車目的なので「EXE」「MSE」ほど頻繁に使うものではないにせよ、「常用する」連結器にカバーを付けるというのは珍しいかもしれない。同世代だと国鉄のボンネット特急等でもカバー付きが見られたが、なんというか連結器という無骨な装置を露出させるのは特急車両にはふさわしくない、みたいな「矜持」が感じられる。

小田急ファミリー鉄道展2019の記事で「味ありすぎ」と書いたグレーの受話器。

おでこに付けられたテールライト兼通過表示灯は「SE」ではツライチに近いものだったが、「SSE」では日さしがついてこれまたゴテゴテしたものに。

近畿車両製シュリーレン型と呼ばれる、KD-17台車。枕ばね(台車中央にあるメインのバネ)はまだコイルばねで、小田急で空気ばねの初採用は「SE」登場後から2年後、2200形2217Fまで待たねばならなかった。ロマンスカーとしては2代目「NSE」から本格採用されている。
この台車は先頭部のみ確認可能。中間部はプラットホーム状になっているので特徴ある連接部は見れないのが残念。

中間部は前述のとおりプラットホーム状になっていて、車内見学できるようになっている。両先頭車はそもそも客用扉がなく現役時でも次位の車両から乗降するしかなかったが、このミュージアムでも唯一客用扉が残っている中間車の3022からしか入るしかない。
小田急ファミリー鉄道展2019の記事でも書いたが、客用扉は手動式でアテンダントが開閉していた。また、乗車時に特急券の改札を行っていたので(その代わり車内検札がなかった)一部の扉しか開けていなかった。その後は車掌が端末で特急券と座っている人の照合ができるようになったため、展望席の非常用を除いてすべての客用扉を開放している。

またまた小田急ファミリー鉄道展2019の記事で書いたことだが、いわゆる「デッキ」が存在せず扉の部分と客室が一体になっていることがわかる。
「SE」の低重心設計は一般的な車両と比べると実際に車体全体が50cm以上低い「どシャコタン」で、搬入作業で1000形が連結している場面では見るからに低さがわかるほどである。先の台車の写真でも上の部分が隠れてしまっている。屋根も低くて客用扉にも影響しておりアーチ中央部でさえ170cmくらいしかないと思われ、そんなに長身でもない筆者(172cm)でも少しかがまないと頭が当たる。
筆者が「SE(SSE)」に乗っていた(乗せてもらっていた)のは背が低い小学校低学年くらいのことで当時は気づかなかったが、大人になってから改めてその「低さ」を実感した。過去のイベントで車内に入ったこともあるにはあるが、臨時のタラップよりも今回のようなプラットホームのほうがリアルを感じやすいのは言うまでもない。

屋根が低いのでパンタグラフも少し(どころじゃないかも)かさ上げされていることがわかる。

車内を見てみよう。ただし、入れるのは(「デッキがない」と言いながらこう書くのもなんだが)デッキまでで、客室部分は低いアクリルパネルで区切られている。保存されてから30年程度経過しているためか、車内は若干カビ臭がある。
写真は小田原方向(「SSE」顔の方)に向けて撮ったもので、通路には絨毯等がなくシンプルな印象。現在はどちらかといえば車内の落ち着きというか、静寂性のために客室内は扉で区切ることが多いが、この車両は見てのとおり貫通路が広くて扉もなく見通しのよさに重点を置いてる感じ。低重心設計ということもあるだろうが、荷棚がとにかく小さくて何載せられるんだ?と思ってしまうほど。
新幹線の500系も走りのために居住性を少々犠牲にしてる感があるが、登場時期が違いすぎるとはいえこちらは車体が小さい分、さらにぶっ飛んでるかもしれない。


今後は振り向いて、新宿方面(「SE」顔)の車内を見る。こちらは運転室の仕切りが近いので少しズームしてみよう。
中央部の扉は撤去されており、一応見学も想定しているのかもしれない。仕切りの窓は大きく最前列の座席、特に助手席側は前方への眺望もよかったと思われる。「EXE」「MSE」も最前列はガラス仕切りにはなっているが、運転台コンソールが高いのでほとんど見えない。
仕切りの壁についているプレート類、左は上が「日本車両 昭和32年」、下が「川崎重工 昭和60年」となっていて、それぞれ製造と車体修理を示す。中央上は鉄道友の会のブルーリボン賞のプレートで、この「SE」は第1回受賞車両である。前述のとおり革命的な車両だったので、それを表彰するために賞が制定されたというのが実態に近い。プレート形状が横長になっているがこれは初期のもので、ほどなく現在と同じ丸形のプレートになっている。「3021」は形式番号。枠の形状がレトロな号車番号は「5」になっているが、「SE」登場時は8号車だった。

シートは回転クロスシートでリクライニング機能は持たない。シンプルな構造だが、軽量化には効いてそう。ひじ掛けの形状がレトロ感ある。
1984年の車体修理で「LSE」に合わせたオレンジ系のシート生地に貼りかえられたが、保存時に修理前のワインレッド生地に復元されたようだ。なお、これは筆者も見たことないので定かではないが、登場時は生地がブルーだったようだ。

低重心設計で床が低くなっているが、ホームの高さに合わせざるを得ないデッキ部からはスロープで下る形となる。このため、駅停車中に座ってホームを見下ろすと、腰の高さくらいまでホームに埋もれているような錯覚を受けた。このミュージアムではプラットホームがあるので、座れたらそれが体験できただろうと思うと少々残念。
ひじ掛け先端には「インアーム式灰皿」というべき灰皿が備わっている。ロマンスカーに禁煙車が導入されたのは1987年からで、5両編成だった「SSE」では1号車のみだった。

車端に近い座席はスロープの上に置かざるを得ず、10~15cmくらいの差が出てしまっている。向かい合わせで座ると違和感ありそうだ。上の車内を見通した写真でも、車端部は座席が少し高くなっていることがわかるはず。

デッキ部からは特徴ある連結部が見られる。通常は2~3枚の渡り板で構成されることが多いが、この車両は楕円形の1枚しかない。台車中心=連結部中心ゆえに、隣接車両同士がずれることがない連接車だからできる芸当である。前後にあるハッチはモーターの点検用。
「室内に入れない」理由のアクリルパネル、この写真なら見えるだろうか?

デッキ部には引退時点の広告がそのまま残されている。「箱根アスレチックガーデン」は筆者も遊びに行った覚えがある。ネットで調べても情報がほとんどないが、現在の「フォレストアドベンチャー」がそれかも。

車体修理により客用窓は固定化されたはずだが、コロナ禍による換気目的だと思うが一部開放できるようになっているのを初めて知った。なお、車体修理前の開閉可能だった時代は上昇式だったのでこのように開いたわけではない。
それにしても、「SE」は本当にネタが尽きないというか語ることが多い。やっと次に進めるなと・・・いや、この後もなかなか大変だけど。
●ロマンスカーのイメージを確立した、2代目3100形「NSE」


次は2代目ロマンスカー、3100形「N(New)SE」.。
「NSE」は1963年(昭和39年)に登場したロマンスカーで、連接構造・低重心・高速志向という「SE」のコンセプトを継承しつつ、2階運転席、前面展望室という観光重視をさらに推し進めた。なお、このスタイルの展望席は名鉄の「パノラマカー」の方が2年ほど早く登場している。
「SE」から7年、現在のロマンスカーも大体同じくらいの年数で新型が出るサイクルになっているが、次の3代目「LSE」登場までの間隔は17年間とかなり長く、フラグシップとしての活躍は歴代の小田急ロマンスカーでもダントツで、その結果「小田急ロマンスカーといえばコレ」というイメージを作り上げた。
「SE」の8両編成から当時のホーム有効長をフルに使った11両編成となり、7編成が増備された。これは現行の「EXE」と並んでロマンスカー単独形式の中では最も多い本数である(というか「EXE」は「NSE」を丸々置き換えているので同じ本数である)。なお、11両編成といっても連接車なので1両当たりの車体長は短く、編成全体としては一般的な20mボギー車7両分くらいに相当する。
本数が多いゆえに「NSE」のみで箱根特急を運用できるようになり、前述のとおり御殿場線乗り入れとサブ運用担当になった「SSE」に対し、「はこね」「あしがら」の花形運用がメインとなった。高速化志向は相変わらずで新宿~小田原間を62分まで縮めたものの、その後は列車本数の増加で所要時間が伸びる一方になってしまった。60分切りが実現したのは複々線完成後の2018年になってからだった。

「SE」同様、中間車1両を挟んだ反対側の先頭車は顔つきが若干異なっている。
1980年に3代目「LSE」が登場した後、「SSE」にも行われた「車体修理」と呼ばれる更新改造工事が「NSE」にも実施され、内装のリニューアルや外幌の交換のほか、従来のホームベース型愛称表示機が幕式の自動化されたものに交換された。こちらは引退時の姿だから、反対側のホームベース型は「SE」ほどではないにせよ、やはり復元された姿ということになる。
「LSE」が出揃い、「SSE」がほとんど御殿場線運用専用のような状態になると、「NSE」は「さがみ」「えのしま」などに充当されるようになったが、「LSE」と共通運用ができたこと、そもそも本数が多いこともあって、さらに後継車が増えた末期に至るまで相変わらず箱根特急で運用されることも多かった(「スーパーはこね」運用もあった)。
1977~1978年に屋根上に冷房装置の追加工事、前述した車体修理などで外観は少々変化しているものの、基本的には塗装ともども1960年代オリジナルの姿を残しながら活躍していたが、1999年に「EXE」に置き換えられる形で引退した。3161F(第4編成)は末期に「ゆめ70」というイベント列車に改造されていたが、こちらも2000年に廃車となった。
他社への譲渡は行われなかったが、3221F(第7編成)は中間5両を抜いた6両が喜多見の車両基地に保存され、2007年に海老名の車両基地イベントで公開されたこともあった。また、開成駅前には3181F(第5編成)の先頭車が保存されている(ロマンスカー「NSE」を取材)。こちらは最近伸縮式ガレージみたいなカバーを撤去してしまったようで、車体や塗装の痛みが出始めているのが気になるが・・・
喜多見の車両基地に保存されていた6両のうち中間車3両は解体されてしまったが、両先頭車を含む残りの3両(1号車、9号車、11号車)が当ミュージアムに保存されることになった。


出目金のようなヘッドライトケースが印象的な「NSE」だが、登場時の頃は踏切が多く事故も多かったため、乗客保護のために出目金にはオイルダンパーが仕込まれている(名鉄「パノラマカー」も同様の設計)。このように安全のための装備でありながら灯火類の周りは銀色に装飾され、前面窓や愛称表示機の縁にメッキ処理が施されていることも相まって、なんとなく60年代アメ車のような雰囲気を漂わせている。
なお、後継の展望室付きロマンスカーでも車体に埋め込まれるようになっただけで、オイルダンパーは健在である。
「SSE」と共通のホームベース型愛称表示機(写真上)は車体修理時に自動式に変更(写真下)したが、自動式の方はさよなら運転時にガラス面に貼っていたステッカーがそのまま残っている。
ホームベース型の時代は「えのしま」に充当されることが少なかったので個人的には違和感がある一方、自動式になってからは「えのしま」に数多く充当されていたので、学生の時に新宿から帰りによく利用していた身としては、こちらの方が「えのしま」なイメージである。

「SE」同様、先頭部しか見ることができない住友金属製FS-346台車。「ミンデンドイツ型」といわれる、板バネで軸箱を保持する方式で新幹線0系の台車もこれに近いタイプである。枕ばねにはロマンスカーで初めて空気ばねを採用し、アンチローリング装置も実装され乗り心地は大幅に改善された。

保存された3両のうち、1号車(小田原寄り)車端の扉から車内に入ることができる。
「NSE」・・・というより後継の展望室付きロマンスカーすべてにもいえることだが、先頭車には扉はあるものの展望席直後は非常用、車端のは乗務員用なので、「SE」同様に現役時には次位の車両から乗降していた。ミュージアムでは乗務員用扉から車内に入ることになるが、通常の客用扉よりも高さが低く筆者はやはりかがむ必要があった。逆に言えば、客用扉は「SE」よりも高さが改善されたことになる(今の身長になってからも利用経験があるが、低いと思ったことはなかったし)。

反対側には車掌室が設けられている。通常、車掌は運転室で業務を行うけども、2階運転室だと車内巡回するにも出入りが大変なのでこのような形になっている。これは最新の「GSE」でも事情が変わっていない。

「NSE」も「SE」と同様、入れるのはデッキ部までである(ひとつ前の写真にアクリルパネルが写ってる)。これは新宿方面(9・11号車)を撮影したもので、軽量化を徹底したがゆえに悪く言えば質素すぎた「SE」の反省からか、通路には絨毯が敷かれて重厚な印象を受ける。
貫通路が広くて車内を見通しやすい設計は「SE」譲りながら、後年の車体修理で仕切り扉が付けられた箇所もあり、この写真でもそれを確認することができる。

振り返って先頭部方向を撮影。先頭部は展望席なのでそのまま外が見通せている。

ズームで撮影すると、2階運転室の入り口が開放されていることがわかる。後継車両では右側(「VSE」は中央)にハッチ&梯子があるが、「NSE」のみ運転席がある左側にある。また、ブルーリボン賞プレートがある中央部のみ窪みがあるが、後継車両はすべてフラットになっている。

「SE」同様に連接構造ながら、連結部は一般的な渡り板が採用されている。ボギー車のような車両同士の変位はないはずだが、これは「SE」がぶっ飛びすぎてるだけかもしれない・・・

シートは「SE」同様、リクライニング機能はない回転クロスシート。窓が大型化され、1枚を2列で共有する形になった。「NSE」は空調装置を床下に搭載した関係で、吹き出し口が窓枠にあるのが特徴。
登場時はシート生地の色が1~3号車がゴールド、4~8号車がブルー、9~11号車がレッドで分けられていたが、後にワインレッドに統一された。「SE」と同様に1984年の車体修理で「LSE」に合わせたオレンジ系のシート生地に貼りかえられたが、1987年以降の工事車はワインレッドのままだった(貼り替えはしている)。展示車である3221Fはオレンジ系だったはずだが、ワインレッドに戻されたようだ。

「NSE」も低重心構造で床下が低いため、デッキ部からスロープ状に下がっていく。「SE」と異なり、床下全体にスロープがついているので写真ではわかりづらいかも。

唯一の中間車、3223(9号車)は車内には入れないが外から喫茶カウンター部を見ることができる。車体修理の際に喫茶カウンター部を拡張したため、写真にある客用扉は後年は資材搬入用だったのかもしれない。また、扉の窓は内側に開閉可能であることがわかる。そして、扉が床下スロープの途中にあることもわかる・・・なんていうか「SE」ともども、やりたい放題っすね。

「SE」と異なり当初から冷房装置を装備していた「NSE」だが、低重心設計のため空調装置は床下に装備していた。しかし、冷房の効きが今一つだったため、1977~1978年に屋根上に冷房装置を1基追加している(前後に伸びているのはダクト)。登場時は屋根上にはパンタと車端のベンチレータしかなく、非常にすっきりした印象だった。このあたりはメインサイトの模型レビューページも参考にされたい。
なお、「NSE」はパンタ付きの車両は保存されなかった。

後位のルーバーが物々しい2階運転室はいかにも1960年代の車両という感じ。号車番号の下に「禁煙車」のプレートも見える。
「SE」の項で禁煙車は1987年からと前述したが、「NSE」では当初1~3号車に適用された。その後1996年頃には「NSE」「LSE」「HiSE」は1~5号車まで拡大され(時期的に「SE」は廃車済み)、「RSE」は1~3号車、「EXE」は分割する関係で1~3、7・8号車に適用。おおよそ編成の半分が禁煙車になった。2005年登場の「VSE」は基本全席禁煙で編成2か所に喫煙ルームを設置、2007年3月にはロマンスカーは全席禁煙となり、これ以降に登場した「MSE」「GSE」は当初より全席禁煙という具合だ。

展望席内には入れないが、1号車側はプラットホームがあるので外から見ることができる。
同時期の名鉄「パノラマカー」はもっと前面窓の上下寸法が「NSE」より大きかったので眺望性は少し譲ってしまっている感がある。ただし、「パノラマカー」は平面ガラスだったので、曲面ガラスを採用した「NSE」の方が車体との一体感は勝っている。同じ時期に同じような設計で登場した「NSE」と「パノラマカー」だが、このへんコンセプトの違いが出ていて面白い。

「SE」「NSE」とも、連接構造だったりそれゆえの車体の短さも理由だろうが、両先頭車+中間車の状態で保存されているのはあまたある鉄道保存施設でも珍しいといえる(他にはリニア・鉄道館のN700系と京都鉄道博物館の0系くらいか)。どちらもミュージアム保存に伴い解体している中間車があるとはいえ、このように並べての展示はかなり破格の扱いだと思う。
●「NSE」のキープコンセプト+モダナイズ 3代目7000形「LSE」


次は3代目ロマンスカー、7000形「L(Luxury、豪華な)SE」だ。
「NSE」登場から17年ぶりの1980年に登場した。前面展望室、連接構造の11両編成、塗装と「NSE」のキープコンセプトかつモダナイズしたような車両となったが、「NSE」が登場した当時と比べると沿線利用客は急増し過密ダイヤとなっていたこと、複々線化は計画はあったものの「LSE」登場当時は代々木上原~東北沢だけが複々線で他は工事すら始まっておらず、高速化どころではない時代背景から軽量、低重心構造といった高速化志向から一転し、一般車並みの床下高さとなり速度よりも居住快適性を重視する方向となった。
もっとも、「LSE」が現在走っていたとしても新宿~小田原間60分切りは可能だったと思われる。2018年に完成した複々線はわずかな期間しか走れず、その間に60分切りの運用に充当されたかどうかは不明だが、「SE」以降~現在においてもロマンスカーの最高速度110km/hは変わっておらす、「LSE」の性能的にはまったく問題ないからである。あくまでも結果論にすぎないが、最高速度110km/hはJR在来線、他私鉄と比べても突出した速度ではなく、「SE」の軽量、低重心構造はむしろ過剰だったと考えることもできる(どちらかといえば小田急よりも新幹線でその考え方が芽生えた感じ)。
「LSE」は4編成が揃い当初は花形の箱根特急中心に充当されていたものの、「NSE」と共通運用できることもあって御殿場線運用以外の線内特急で幅広く活躍。1996年に身障者設備設置、「HiSE」に準じた「新塗装」になるなどのリニューアルが行われた。その後、ロマンスカー50周年となる2007年に1編成が、最終的に残った2編成はすべて旧塗装に戻され新塗装は姿を消した。
2018年に70000形「GSE」登場に伴い引退したが、ノーマルデッキで身障者設備もあったことから、後継車両である「HiSE」「RSE」よりも長生きした結果となった(後述)。
他社への譲渡は行われておらず、7003F(第3編成)の両先頭車が保存されることになったが、小田原寄りの7803(1号車)はミュージアム内の運転シミュレータ(後述)に運転室部分を流用するために解体、新宿寄りの7003(11号車)のみがミュージアムに保存されることになった。
ミュージアムでは「NSE」と壁の間の狭いスペースに配置されたため、下回りのディテールなどはほとんど見れない(「NSE」との間は立入禁止)。また、ミュージアム内では唯一車内も公開されておらず、ちょっと保存場所に恵まれていない印象だ。

ということで、行先表示機や灯火類に接近するくらいしかできない。他の車両も(とういうか、他の鉄道保存施設でも)そうだが、ヘッドライトは現役時よりもかなり照度を落としてある。

ただ、「NSE」のすぐ横に並べてあるので「ロマンスカーの進化」を目の当たりにできるのはよい。新しい「LSE」は前面窓の傾斜が強くなり、窓も大きくなっていることがわかる。ちなみに傾斜角は「NSE」が60度、「LSE」が48度。
(後編に続く)
先日(といっても1ヶ月以上も前)、海老名にある「ロマンスカーミュージアム」に行ってきたのでレポートする。
小田急ではこれまで、ロマンスカーをはじめとした引退車両を車両基地などで保存していたが、過去にWeb上で3DCGによるバーチャル博物館は公開していたものの、リアルの常設型車両展示施設は持っていなかった(向ケ丘遊園内にあった鉄道資料館は車両展示施設ではないので除外。電気機関車は保存されていたが・・・)。下北沢付近の複々線完成で列車本数が増えたことにより、営業車両の邪魔になるということで保存車両の一部に解体が出始めてしまった頃、海老名に「ロマンスカーミュージアム」が建設されることが発表。2021年4月19日、小田急の車両基地がある海老名に爆誕した。
今回は7月の平日に行ってきたが、ゆったり見られたこともあって画像枚数100枚以上の本当に長い記事になってしまった。他にもミュージアムのレポート記事はあるかもしれないが、筆者なりに車両ごとのマニアックな見どころとか、思うままに書いてみたので参考になれば。
※あくまでも自分の目で確かめたい、という人にはネタバレ気味になってしまうかもなので、その場合は今回の記事はスルーしてください。
●いざ館内へ

木でできたロマンスカー風のオブジェ(近鉄「アーバンライナー」っぽく思わなくもない)が目立つ「ロマンスカーミュージアム」のエントランス。
小田急の海老名駅改札を出て、北口のJR海老名駅方面に進んですぐのところにある。平日ということもあって、この写真では全然人がいないように見えるが、筆者の後ろはJR相模線への乗り換えやららぽーと方面利用客でかなり人通りが激しかった。
コロナ禍中に開業したこともあって、8月現在でも予約制になっている。公式サイトからたどって予約し(Yahoo!アカウントが必要だと思った)、現地でスマホの予約画面を見せれば入場できる。入場時間は予約が取れた時間帯からとなるが、時間制限はないので閉館までは好きなだけ居ることができる。
左にあるメニューは併設されたカフェのもので、ここはミュージアムに入場しなくても利用できるし軽い食事ならできなくはないが、館内から利用できない(出口→カフェという動線になっている)ので、入場後は好きなだけ居られるといっても館内での食事はできないと思った方がよい。食事を済ませてから or 後で食事ということになるが、幸い海老名駅周辺には飲食店が大量にある。

JR海老名駅方面に向かうペデストリアンデッキから撮影、左の建物がロマンスカーミュージアム。
筆者は10年以上前、大宮の鉄道博物館ができたくらいだったか、もし小田急にもリアル展示施設ができるとしたら海老名だろうとは思っていた。小田急の車両基地があることに加え、なにより当時の海老名駅北口一帯は野原で何もなかったからである。しかし、「ららぽーと海老名」ができ、ロマンスカーが止まるようになり、相鉄が都心直結になるなどで、北口も一気にマンションや商業施設が立ち並ぶようになり、ロマンスカーミュージアム建設が発表されたのもそんな中の出来事だった。
筆者の予想(というか願望に近いな)では写真の手前にある空き地から奥のマンション建設現場あたりにできると踏んでいたが、実際には左の駅と市道に挟まれたちょっと狭めのスペースに落ち着いた。
駅から近い鉄道保存施設は特に珍しくもないのだが、都心にも横浜にも直結できて(微妙に遠いけどね・・・)、なんなら「住みたい街」にランキングされるまでになった海老名のような駅近くにできるのは異例かもしれない。常識的に考えたら、速攻でディベロッパーの餌食となりマンションや商業施設になってもおかしくない立地だからだ。

スマホの予約画面を見せて入場し、券売機でチケット(大人900円)購入後に受付に向かう。この木製の受付もロマンスカーっぽくて外の先頭部と揃えた位置関係になっているが、貫通はしていない。
ついでに、運転シミュレータの抽選券はここでもらえる。名古屋のリニア鉄道館では大敗北だったがはたして。
●小田急最古の車両、モハ1形

エントランスがある2Fからエスカレータで1Fに降りると、最初に現れるのがこのモハ1形。
いきなりロマンスカーじゃないんかい、とツッコミが入りそうだが、この車両は小田急(当時は小田原急行鉄道)が開通した1927年(昭和2年)に製造された、正真正銘「小田急初の車両」という由緒あるものである。戦後は1100形に形式変更し1959年(昭和34年)に熊本電鉄に譲渡され活躍していたが、後に小田急に里帰りして1984年に開業当時の姿に復元された(余談だが、復元当時に発売された記念切符は今でも持っている)。
その後はイベントで数回公開展示されるも、長らく喜多見の車両基地に保存されている状態が続いたが、このたびロマンスカーミュージアムで晴れて常設展示されることになった。実に製造から94年目、復元から37年目のことである。

この車両の存在は知っていたが、実物を見るのは今回が初めてだ。
この写真で筆者の背後の壁になんか意識高そうな動画がひたすら流れていたが、とにかく暗い場所なので撮影が苦しかった。
両運転台の車両であり、1~2両編成で運用されていた。車内には入れないが、一番手前のドアが開いているので運転台や木造の車内を見ることができる。全体がプラットホーム状になっているので下回りが一切見えないのが残念。

運転台はこんな感じ。メーターは圧力計のみ。椅子も自転車のサドルみたいだし(しかも木製)、仕切りはパイプのみ。シンプルなんてももんじゃないよ。

戦前生まれの車両なので当然だが、溶接ではなくリベット止めの車体、窓上下のシル・ヘッダ、窓の外側に取り付けられた保護棒など、茶色1色の塗装と相まって現在の車両・・・どころか、30~40年くらい前の車両にすらない別次元の味わいである。この時代の車両は乗ったことも見たこともない筆者にとって、懐かしさよりも新鮮さを感じてしまうほど。

この車両は主に新宿~稲田登戸間の近距離で使用されていたため、側面サボもそのように表示されている。「稲田登戸」は現在の向ケ丘遊園駅の旧名。
●まさに神々しいの具現

ミュージアム内には11両の車両が保存されている。さすがにJRの鉄道博物館御三家には及ばないものの、私鉄単独の保存施設でここまでの規模のものはない。
モハ1形は右上の「ヒストリーゾーン」にある。そこから暗くて狭い通路を抜けると・・・

うおおおお!!!


同館のキービジュアルにもなってる、バーミリオンオレンジのロマンスカー3並びだ。画像では何度か見ているものの、実際に目にするインパクトは大!
平日ということもあって、館内は非常にすいていた。非鉄の人が車両のまん前で記念撮影しているという「車両保存施設あるある」もほとんどなかった。
●レジェンドの中のレジェンド、初代3000形「SE(SSE)」


ここから、ひとつづつ車両を見ていこう。
まずは1957年(昭和32年)登場の3000形「SE(SuperExpress)」だ。実際にはこれよりも前から「ロマンスカー」と呼ばれる車両は存在しているので本意ではないが、小田急公式としてはこれを初代としているので、今回の記事ではそれに従うことにする。
8両編成4本が制作されたが、当時の電車は「(それこそ前述のモハ1型のように)四角くて茶色1色」というのが一般的な中、流線形にバーミリオンオレンジという外観がどれだけインパクトがあったかは当時を知らない筆者ですら容易に想像できる。外観のみならず2両で1台車を共有する連接構造を8両編成という異例の長さで採用し、白熱電球ではなくシールドビームを使用したヘッドライト、ディスクブレーキなど鉄道車両として新機軸がてんこ盛りで、「斬新」以外表現しようがないものだった。
なによりこの車両の神髄は新宿~小田原間60分切りを目指し、高速化にステ全振りしたような規格外の「軽量、低重心」構造にある。「速く走るものは軽く、重心は低く」というのはレーシングカーでも当たり前の考え方だが、それを昭和30年初頭に実現していたのだから恐れ入る。
その結果、国鉄に貸し出され東海道線で行った試験では145km/hの世界最高速度記録(当時の狭軌)をたたき出し、後の新幹線にも多大な影響を与えたといわれている。その新幹線ですら軽量・低重心の考え方が採用されたのは270km/h運転となった300系からであり、実に平成に入ってからの話である。
現行のロマンスカーはいずれも「軽量、低重心」でなくても60分切りを実現できているので(複々線化など、路線側の改善も大きい)、自動扉や冷房装置すら搭載しなかった「SE」の軽量・低重心は今にして思うとちょっと過剰に思えなくもないが、いずれにしても小田急どころか日本の鉄道史の中でもレジェンドの中のレジェンドといっても過言ではない存在だ。
一部重複内容があるかもしれないが、こちらの記事にも「SE」について書いた内容がある。
小田急ファミリー鉄道展2019


中間車1両を挟み、反対側の先頭車は顔つきが異なっている。
展望室付きの2代目「NSE」が登場し、「SE」は6年ほどでフラグシップから降りてしまうことになったが、以前からディーゼルカーで乗り入れていた国鉄(当時)御殿場線の電化されたことにより、その乗り入れ車両に「SE」が抜擢されることになった。
乗り入れ改造に伴い5両編成6本となり、先頭車に常用できる連結器を装備することで5+5のいわゆる「重連」に対応できるようにしたことと、「NSE」と共通の電照式愛称表示機を装備したこと、屋根上に冷房装置を搭載したことが主な改造内容である。歯車比も御殿場線に合わせた山岳寄りのセッティングにしたため、「軽量、低重心」は若干妥協することになった。
愛称表示機の設置でヘッドライトが左右離れた位置となり、飛び出した連結器カバーもあって顔つきがかなり変わった。この時の改造から引退するまでの姿がこちら側の先頭車である。編成が短くなったことから「S(Short)SE」と呼ばれることもある。
「NSE」が全編成揃い箱根特急を中心に活躍していたのに対し、「SE(SSE)」は目的である御殿場線直通列車「あさぎり」のほか、「さがみ」「えのしま」といったサブ的な運用に就いていた。筆者が「SSE」に乗っていたのはこの頃の「えのしま」だったので、そのイメージが強い。なお、稀に箱根特急で走ることもあった。
1980年に3代目「LSE」が登場すると「SSE」にも一部廃車が発生し、ほとんど「あさぎり」で運用されるようになったが、国鉄末期のゴタゴタで後継の御殿場線乗り入れ用車の目途が立たず、1984年に「車体修理」と呼ばれる内装のリフレッシュ、客用窓の固定化、外幌形状を「LSE」と同タイプにするなどの延命改造が4本に行われた。その後、御殿場線がJR東海管轄になると後継車両の話がトントン進み、1991年に「RSE」に置き換えられて「SSE」は引退となった。
他社への譲渡車両としては、1983年に3001F(第1編成)が動態保存目的で大井川鉄道に譲渡されて急行列車として活躍を始めたが、前述のとおり日本の鉄道の歴史に残る名車だったにも関わらず、同線を走るSLのような人気は得られず数年で運休、1989年には小田急に残った車両よりも先に解体されるという悲しい結末になってしまった。なお、この編成は車体修理が行われる前のものだった。
一方、小田急ではレジェンドな車両であるため、3021F(第3編成)を1編成丸々保存することに決定。新宿寄りの2両を「SE」の姿に復元の上、海老名に専用の保存庫を制作したうえで保存された。その後は何度かイベントで公開されたが(先にリンク貼った「小田急ファミリー鉄道展2019」もそれ)、最終的にはスペースの都合もあり残念ながら2両が解体されてしまったものの、1、4、5号車がこのミュージアムで保存されることになった。
なお、元「SE」の保存庫には現在通勤車両の保存車(2200形、2600形、9000形)が代わりに格納されていて、海老名駅近くの陸橋から窓を通して少しだけ見ることができる。


写真上の新宿寄りが登場時の姿「SE」、下の小田原寄りが晩年の姿「SSE」になっている。
「SSE」→「SE」への復元には顔つきや塗装だけでなく、乗務員室扉横の手すり形状変更、側面サボの撤去、屋根上の無線アンテナ撤去、前面から続く下部のスカート端形状も若干異なるなど、かなり徹底していることがわかる。ただし、客用窓の固定化、外幌形状、冷房の装備などは晩年のままである。

登場時「SE」の顔つきはヘッドライトが中央に2灯あり、金属プレートのヘッドマーク「乙女(フォントがカッコイイ)」が掲げられている。「SE」当時は発車時刻ごとに愛称が異なっており、箱根にちなんだ名前が付けられていた。「乙女」の場合、箱根と御殿場の間にある「乙女峠」から。
窓枠は銀色から「SE」当時のグレーに塗装され、ワイパーの位置も変更されている。
ヘッドライトは日本の鉄道車両として初めてシールドビームを採用した。アメリカでは主に自動車で使われていた、ライト本体とフィラメントが一体化したものである。交換は本体ごと行う必要があるが、白熱電球のヘッドライトを一気に過去のものとし、その後はHID、LEDが主流になるまで鉄道車両では当たり前の装備となった。

シンプルな登場時と比べ、「SSE」改造後は一転してゴテゴテした顔つきとなった。特にワイパー配置や白帯の塗装により生き物感があるというか、非常に「濃い」表情になっている。
ホームベース形状のヘッドマーク(愛称表示機)は「NSE」と共通の電照式で、筆者は新宿駅での交換作業を一度だけ見たことがあるが、周囲の銀色のフレームを開けて(よく見るとヒンジが付いてる)アクリル製のヘッドマーク板を交換する。

「SSE」改造後は連結器を備え、飛び出したカバーに覆われている。下部には電気連結器が露出している。連結時はこのカバーを外し、その左右にボディと組み合わせが悪い部分があるが、ここを左右にスライドさせて開口部が大きくなる仕組みだ。当然、新幹線のような自動ではなくすべて手動で行う。
特急用車両は「EXE」「MSE」のように分割併合等で「常用する」ものを除けば、「SE」顔や他のロマンスカーがそうであるように、前面の連結器は車体内に格納されていることがほとんどだ。「SSE」の場合は分割併合ではなく増車目的なので「EXE」「MSE」ほど頻繁に使うものではないにせよ、「常用する」連結器にカバーを付けるというのは珍しいかもしれない。同世代だと国鉄のボンネット特急等でもカバー付きが見られたが、なんというか連結器という無骨な装置を露出させるのは特急車両にはふさわしくない、みたいな「矜持」が感じられる。

小田急ファミリー鉄道展2019の記事で「味ありすぎ」と書いたグレーの受話器。

おでこに付けられたテールライト兼通過表示灯は「SE」ではツライチに近いものだったが、「SSE」では日さしがついてこれまたゴテゴテしたものに。

近畿車両製シュリーレン型と呼ばれる、KD-17台車。枕ばね(台車中央にあるメインのバネ)はまだコイルばねで、小田急で空気ばねの初採用は「SE」登場後から2年後、2200形2217Fまで待たねばならなかった。ロマンスカーとしては2代目「NSE」から本格採用されている。
この台車は先頭部のみ確認可能。中間部はプラットホーム状になっているので特徴ある連接部は見れないのが残念。

中間部は前述のとおりプラットホーム状になっていて、車内見学できるようになっている。両先頭車はそもそも客用扉がなく現役時でも次位の車両から乗降するしかなかったが、このミュージアムでも唯一客用扉が残っている中間車の3022からしか入るしかない。
小田急ファミリー鉄道展2019の記事でも書いたが、客用扉は手動式でアテンダントが開閉していた。また、乗車時に特急券の改札を行っていたので(その代わり車内検札がなかった)一部の扉しか開けていなかった。その後は車掌が端末で特急券と座っている人の照合ができるようになったため、展望席の非常用を除いてすべての客用扉を開放している。

またまた小田急ファミリー鉄道展2019の記事で書いたことだが、いわゆる「デッキ」が存在せず扉の部分と客室が一体になっていることがわかる。
「SE」の低重心設計は一般的な車両と比べると実際に車体全体が50cm以上低い「どシャコタン」で、搬入作業で1000形が連結している場面では見るからに低さがわかるほどである。先の台車の写真でも上の部分が隠れてしまっている。屋根も低くて客用扉にも影響しておりアーチ中央部でさえ170cmくらいしかないと思われ、そんなに長身でもない筆者(172cm)でも少しかがまないと頭が当たる。
筆者が「SE(SSE)」に乗っていた(乗せてもらっていた)のは背が低い小学校低学年くらいのことで当時は気づかなかったが、大人になってから改めてその「低さ」を実感した。過去のイベントで車内に入ったこともあるにはあるが、臨時のタラップよりも今回のようなプラットホームのほうがリアルを感じやすいのは言うまでもない。

屋根が低いのでパンタグラフも少し(どころじゃないかも)かさ上げされていることがわかる。

車内を見てみよう。ただし、入れるのは(「デッキがない」と言いながらこう書くのもなんだが)デッキまでで、客室部分は低いアクリルパネルで区切られている。保存されてから30年程度経過しているためか、車内は若干カビ臭がある。
写真は小田原方向(「SSE」顔の方)に向けて撮ったもので、通路には絨毯等がなくシンプルな印象。現在はどちらかといえば車内の落ち着きというか、静寂性のために客室内は扉で区切ることが多いが、この車両は見てのとおり貫通路が広くて扉もなく見通しのよさに重点を置いてる感じ。低重心設計ということもあるだろうが、荷棚がとにかく小さくて何載せられるんだ?と思ってしまうほど。
新幹線の500系も走りのために居住性を少々犠牲にしてる感があるが、登場時期が違いすぎるとはいえこちらは車体が小さい分、さらにぶっ飛んでるかもしれない。


今後は振り向いて、新宿方面(「SE」顔)の車内を見る。こちらは運転室の仕切りが近いので少しズームしてみよう。
中央部の扉は撤去されており、一応見学も想定しているのかもしれない。仕切りの窓は大きく最前列の座席、特に助手席側は前方への眺望もよかったと思われる。「EXE」「MSE」も最前列はガラス仕切りにはなっているが、運転台コンソールが高いのでほとんど見えない。
仕切りの壁についているプレート類、左は上が「日本車両 昭和32年」、下が「川崎重工 昭和60年」となっていて、それぞれ製造と車体修理を示す。中央上は鉄道友の会のブルーリボン賞のプレートで、この「SE」は第1回受賞車両である。前述のとおり革命的な車両だったので、それを表彰するために賞が制定されたというのが実態に近い。プレート形状が横長になっているがこれは初期のもので、ほどなく現在と同じ丸形のプレートになっている。「3021」は形式番号。枠の形状がレトロな号車番号は「5」になっているが、「SE」登場時は8号車だった。

シートは回転クロスシートでリクライニング機能は持たない。シンプルな構造だが、軽量化には効いてそう。ひじ掛けの形状がレトロ感ある。
1984年の車体修理で「LSE」に合わせたオレンジ系のシート生地に貼りかえられたが、保存時に修理前のワインレッド生地に復元されたようだ。なお、これは筆者も見たことないので定かではないが、登場時は生地がブルーだったようだ。

低重心設計で床が低くなっているが、ホームの高さに合わせざるを得ないデッキ部からはスロープで下る形となる。このため、駅停車中に座ってホームを見下ろすと、腰の高さくらいまでホームに埋もれているような錯覚を受けた。このミュージアムではプラットホームがあるので、座れたらそれが体験できただろうと思うと少々残念。
ひじ掛け先端には「インアーム式灰皿」というべき灰皿が備わっている。ロマンスカーに禁煙車が導入されたのは1987年からで、5両編成だった「SSE」では1号車のみだった。

車端に近い座席はスロープの上に置かざるを得ず、10~15cmくらいの差が出てしまっている。向かい合わせで座ると違和感ありそうだ。上の車内を見通した写真でも、車端部は座席が少し高くなっていることがわかるはず。

デッキ部からは特徴ある連結部が見られる。通常は2~3枚の渡り板で構成されることが多いが、この車両は楕円形の1枚しかない。台車中心=連結部中心ゆえに、隣接車両同士がずれることがない連接車だからできる芸当である。前後にあるハッチはモーターの点検用。
「室内に入れない」理由のアクリルパネル、この写真なら見えるだろうか?

デッキ部には引退時点の広告がそのまま残されている。「箱根アスレチックガーデン」は筆者も遊びに行った覚えがある。ネットで調べても情報がほとんどないが、現在の「フォレストアドベンチャー」がそれかも。

車体修理により客用窓は固定化されたはずだが、コロナ禍による換気目的だと思うが一部開放できるようになっているのを初めて知った。なお、車体修理前の開閉可能だった時代は上昇式だったのでこのように開いたわけではない。
それにしても、「SE」は本当にネタが尽きないというか語ることが多い。やっと次に進めるなと・・・いや、この後もなかなか大変だけど。
●ロマンスカーのイメージを確立した、2代目3100形「NSE」


次は2代目ロマンスカー、3100形「N(New)SE」.。
「NSE」は1963年(昭和39年)に登場したロマンスカーで、連接構造・低重心・高速志向という「SE」のコンセプトを継承しつつ、2階運転席、前面展望室という観光重視をさらに推し進めた。なお、このスタイルの展望席は名鉄の「パノラマカー」の方が2年ほど早く登場している。
「SE」から7年、現在のロマンスカーも大体同じくらいの年数で新型が出るサイクルになっているが、次の3代目「LSE」登場までの間隔は17年間とかなり長く、フラグシップとしての活躍は歴代の小田急ロマンスカーでもダントツで、その結果「小田急ロマンスカーといえばコレ」というイメージを作り上げた。
「SE」の8両編成から当時のホーム有効長をフルに使った11両編成となり、7編成が増備された。これは現行の「EXE」と並んでロマンスカー単独形式の中では最も多い本数である(というか「EXE」は「NSE」を丸々置き換えているので同じ本数である)。なお、11両編成といっても連接車なので1両当たりの車体長は短く、編成全体としては一般的な20mボギー車7両分くらいに相当する。
本数が多いゆえに「NSE」のみで箱根特急を運用できるようになり、前述のとおり御殿場線乗り入れとサブ運用担当になった「SSE」に対し、「はこね」「あしがら」の花形運用がメインとなった。高速化志向は相変わらずで新宿~小田原間を62分まで縮めたものの、その後は列車本数の増加で所要時間が伸びる一方になってしまった。60分切りが実現したのは複々線完成後の2018年になってからだった。

「SE」同様、中間車1両を挟んだ反対側の先頭車は顔つきが若干異なっている。
1980年に3代目「LSE」が登場した後、「SSE」にも行われた「車体修理」と呼ばれる更新改造工事が「NSE」にも実施され、内装のリニューアルや外幌の交換のほか、従来のホームベース型愛称表示機が幕式の自動化されたものに交換された。こちらは引退時の姿だから、反対側のホームベース型は「SE」ほどではないにせよ、やはり復元された姿ということになる。
「LSE」が出揃い、「SSE」がほとんど御殿場線運用専用のような状態になると、「NSE」は「さがみ」「えのしま」などに充当されるようになったが、「LSE」と共通運用ができたこと、そもそも本数が多いこともあって、さらに後継車が増えた末期に至るまで相変わらず箱根特急で運用されることも多かった(「スーパーはこね」運用もあった)。
1977~1978年に屋根上に冷房装置の追加工事、前述した車体修理などで外観は少々変化しているものの、基本的には塗装ともども1960年代オリジナルの姿を残しながら活躍していたが、1999年に「EXE」に置き換えられる形で引退した。3161F(第4編成)は末期に「ゆめ70」というイベント列車に改造されていたが、こちらも2000年に廃車となった。
他社への譲渡は行われなかったが、3221F(第7編成)は中間5両を抜いた6両が喜多見の車両基地に保存され、2007年に海老名の車両基地イベントで公開されたこともあった。また、開成駅前には3181F(第5編成)の先頭車が保存されている(ロマンスカー「NSE」を取材)。こちらは最近伸縮式ガレージみたいなカバーを撤去してしまったようで、車体や塗装の痛みが出始めているのが気になるが・・・
喜多見の車両基地に保存されていた6両のうち中間車3両は解体されてしまったが、両先頭車を含む残りの3両(1号車、9号車、11号車)が当ミュージアムに保存されることになった。


出目金のようなヘッドライトケースが印象的な「NSE」だが、登場時の頃は踏切が多く事故も多かったため、乗客保護のために出目金にはオイルダンパーが仕込まれている(名鉄「パノラマカー」も同様の設計)。このように安全のための装備でありながら灯火類の周りは銀色に装飾され、前面窓や愛称表示機の縁にメッキ処理が施されていることも相まって、なんとなく60年代アメ車のような雰囲気を漂わせている。
なお、後継の展望室付きロマンスカーでも車体に埋め込まれるようになっただけで、オイルダンパーは健在である。
「SSE」と共通のホームベース型愛称表示機(写真上)は車体修理時に自動式に変更(写真下)したが、自動式の方はさよなら運転時にガラス面に貼っていたステッカーがそのまま残っている。
ホームベース型の時代は「えのしま」に充当されることが少なかったので個人的には違和感がある一方、自動式になってからは「えのしま」に数多く充当されていたので、学生の時に新宿から帰りによく利用していた身としては、こちらの方が「えのしま」なイメージである。

「SE」同様、先頭部しか見ることができない住友金属製FS-346台車。「ミンデンドイツ型」といわれる、板バネで軸箱を保持する方式で新幹線0系の台車もこれに近いタイプである。枕ばねにはロマンスカーで初めて空気ばねを採用し、アンチローリング装置も実装され乗り心地は大幅に改善された。

保存された3両のうち、1号車(小田原寄り)車端の扉から車内に入ることができる。
「NSE」・・・というより後継の展望室付きロマンスカーすべてにもいえることだが、先頭車には扉はあるものの展望席直後は非常用、車端のは乗務員用なので、「SE」同様に現役時には次位の車両から乗降していた。ミュージアムでは乗務員用扉から車内に入ることになるが、通常の客用扉よりも高さが低く筆者はやはりかがむ必要があった。逆に言えば、客用扉は「SE」よりも高さが改善されたことになる(今の身長になってからも利用経験があるが、低いと思ったことはなかったし)。

反対側には車掌室が設けられている。通常、車掌は運転室で業務を行うけども、2階運転室だと車内巡回するにも出入りが大変なのでこのような形になっている。これは最新の「GSE」でも事情が変わっていない。

「NSE」も「SE」と同様、入れるのはデッキ部までである(ひとつ前の写真にアクリルパネルが写ってる)。これは新宿方面(9・11号車)を撮影したもので、軽量化を徹底したがゆえに悪く言えば質素すぎた「SE」の反省からか、通路には絨毯が敷かれて重厚な印象を受ける。
貫通路が広くて車内を見通しやすい設計は「SE」譲りながら、後年の車体修理で仕切り扉が付けられた箇所もあり、この写真でもそれを確認することができる。

振り返って先頭部方向を撮影。先頭部は展望席なのでそのまま外が見通せている。

ズームで撮影すると、2階運転室の入り口が開放されていることがわかる。後継車両では右側(「VSE」は中央)にハッチ&梯子があるが、「NSE」のみ運転席がある左側にある。また、ブルーリボン賞プレートがある中央部のみ窪みがあるが、後継車両はすべてフラットになっている。

「SE」同様に連接構造ながら、連結部は一般的な渡り板が採用されている。ボギー車のような車両同士の変位はないはずだが、これは「SE」がぶっ飛びすぎてるだけかもしれない・・・

シートは「SE」同様、リクライニング機能はない回転クロスシート。窓が大型化され、1枚を2列で共有する形になった。「NSE」は空調装置を床下に搭載した関係で、吹き出し口が窓枠にあるのが特徴。
登場時はシート生地の色が1~3号車がゴールド、4~8号車がブルー、9~11号車がレッドで分けられていたが、後にワインレッドに統一された。「SE」と同様に1984年の車体修理で「LSE」に合わせたオレンジ系のシート生地に貼りかえられたが、1987年以降の工事車はワインレッドのままだった(貼り替えはしている)。展示車である3221Fはオレンジ系だったはずだが、ワインレッドに戻されたようだ。

「NSE」も低重心構造で床下が低いため、デッキ部からスロープ状に下がっていく。「SE」と異なり、床下全体にスロープがついているので写真ではわかりづらいかも。

唯一の中間車、3223(9号車)は車内には入れないが外から喫茶カウンター部を見ることができる。車体修理の際に喫茶カウンター部を拡張したため、写真にある客用扉は後年は資材搬入用だったのかもしれない。また、扉の窓は内側に開閉可能であることがわかる。そして、扉が床下スロープの途中にあることもわかる・・・なんていうか「SE」ともども、やりたい放題っすね。

「SE」と異なり当初から冷房装置を装備していた「NSE」だが、低重心設計のため空調装置は床下に装備していた。しかし、冷房の効きが今一つだったため、1977~1978年に屋根上に冷房装置を1基追加している(前後に伸びているのはダクト)。登場時は屋根上にはパンタと車端のベンチレータしかなく、非常にすっきりした印象だった。このあたりはメインサイトの模型レビューページも参考にされたい。
なお、「NSE」はパンタ付きの車両は保存されなかった。

後位のルーバーが物々しい2階運転室はいかにも1960年代の車両という感じ。号車番号の下に「禁煙車」のプレートも見える。
「SE」の項で禁煙車は1987年からと前述したが、「NSE」では当初1~3号車に適用された。その後1996年頃には「NSE」「LSE」「HiSE」は1~5号車まで拡大され(時期的に「SE」は廃車済み)、「RSE」は1~3号車、「EXE」は分割する関係で1~3、7・8号車に適用。おおよそ編成の半分が禁煙車になった。2005年登場の「VSE」は基本全席禁煙で編成2か所に喫煙ルームを設置、2007年3月にはロマンスカーは全席禁煙となり、これ以降に登場した「MSE」「GSE」は当初より全席禁煙という具合だ。

展望席内には入れないが、1号車側はプラットホームがあるので外から見ることができる。
同時期の名鉄「パノラマカー」はもっと前面窓の上下寸法が「NSE」より大きかったので眺望性は少し譲ってしまっている感がある。ただし、「パノラマカー」は平面ガラスだったので、曲面ガラスを採用した「NSE」の方が車体との一体感は勝っている。同じ時期に同じような設計で登場した「NSE」と「パノラマカー」だが、このへんコンセプトの違いが出ていて面白い。

「SE」「NSE」とも、連接構造だったりそれゆえの車体の短さも理由だろうが、両先頭車+中間車の状態で保存されているのはあまたある鉄道保存施設でも珍しいといえる(他にはリニア・鉄道館のN700系と京都鉄道博物館の0系くらいか)。どちらもミュージアム保存に伴い解体している中間車があるとはいえ、このように並べての展示はかなり破格の扱いだと思う。
●「NSE」のキープコンセプト+モダナイズ 3代目7000形「LSE」


次は3代目ロマンスカー、7000形「L(Luxury、豪華な)SE」だ。
「NSE」登場から17年ぶりの1980年に登場した。前面展望室、連接構造の11両編成、塗装と「NSE」のキープコンセプトかつモダナイズしたような車両となったが、「NSE」が登場した当時と比べると沿線利用客は急増し過密ダイヤとなっていたこと、複々線化は計画はあったものの「LSE」登場当時は代々木上原~東北沢だけが複々線で他は工事すら始まっておらず、高速化どころではない時代背景から軽量、低重心構造といった高速化志向から一転し、一般車並みの床下高さとなり速度よりも居住快適性を重視する方向となった。
もっとも、「LSE」が現在走っていたとしても新宿~小田原間60分切りは可能だったと思われる。2018年に完成した複々線はわずかな期間しか走れず、その間に60分切りの運用に充当されたかどうかは不明だが、「SE」以降~現在においてもロマンスカーの最高速度110km/hは変わっておらす、「LSE」の性能的にはまったく問題ないからである。あくまでも結果論にすぎないが、最高速度110km/hはJR在来線、他私鉄と比べても突出した速度ではなく、「SE」の軽量、低重心構造はむしろ過剰だったと考えることもできる(どちらかといえば小田急よりも新幹線でその考え方が芽生えた感じ)。
「LSE」は4編成が揃い当初は花形の箱根特急中心に充当されていたものの、「NSE」と共通運用できることもあって御殿場線運用以外の線内特急で幅広く活躍。1996年に身障者設備設置、「HiSE」に準じた「新塗装」になるなどのリニューアルが行われた。その後、ロマンスカー50周年となる2007年に1編成が、最終的に残った2編成はすべて旧塗装に戻され新塗装は姿を消した。
2018年に70000形「GSE」登場に伴い引退したが、ノーマルデッキで身障者設備もあったことから、後継車両である「HiSE」「RSE」よりも長生きした結果となった(後述)。
他社への譲渡は行われておらず、7003F(第3編成)の両先頭車が保存されることになったが、小田原寄りの7803(1号車)はミュージアム内の運転シミュレータ(後述)に運転室部分を流用するために解体、新宿寄りの7003(11号車)のみがミュージアムに保存されることになった。
ミュージアムでは「NSE」と壁の間の狭いスペースに配置されたため、下回りのディテールなどはほとんど見れない(「NSE」との間は立入禁止)。また、ミュージアム内では唯一車内も公開されておらず、ちょっと保存場所に恵まれていない印象だ。

ということで、行先表示機や灯火類に接近するくらいしかできない。他の車両も(とういうか、他の鉄道保存施設でも)そうだが、ヘッドライトは現役時よりもかなり照度を落としてある。

ただ、「NSE」のすぐ横に並べてあるので「ロマンスカーの進化」を目の当たりにできるのはよい。新しい「LSE」は前面窓の傾斜が強くなり、窓も大きくなっていることがわかる。ちなみに傾斜角は「NSE」が60度、「LSE」が48度。
(後編に続く)