200系乗り納めレポート・前編
いよいよ3月15日は200系が引退(一般的な営業運転は終了)する。このところ模型のレビューで忙しく、かなり時間が経ってしまったが1月に200系乗り納めをしてきたのでレポート。
筆者はこれまでも引退した新幹線車両は一通り乗り納めをしているが、最終運転などには特に興味はないし、わざわざパニック必至なところに行きたくないので、なるべく早めに行動するように心がけてる。今回の200系も例外ではないが、1月下旬に数本がE2系に置き換えられる=200系が何本か廃車になることもあり(結果的にはそうならなかったが、K47編成が落ちることすら想定した)、その直前である1月12日を乗り納め日としてチョイスした。それより早いと年末年始ということもあり、別の意味で混雑してしまう。
次にどこまで乗るか。ガッツリ乗るなら新潟往復がベストだが、さすがにコスト的にきつい。かといって、高崎あたりでは物足りない(E1系はそうしてしまったが・・・)。というわけで、大清水トンネルや雪景色など「上越新幹線」をそこそこ味わえ、コストもそれなりに抑えられる越後湯沢まで乗ることにした。往復で200系に乗りたかったので乗車機会という意味でも、折り返しがある同駅までがよいと考えた。
そして、どうせ乗るなら原色塗装のK47編成に乗りたいと思った。当時の200系はK26・41・42・43・46・47・51の7本が稼働していたが、K47編成は他の200系と共通運用なので時刻表では区別がつかず、K47編成に乗れる確率は1/7。2011年夏の100系乗り納めでは原色編成には乗れず残念な思いをしたことがあるが、その時の確率は3/8だったのでさらに分が悪い。
ただ、山陽新幹線に比べたら上越新幹線の距離は短いし、越後湯沢での折り返しも考えると数値ほどシビアではなく、東京駅で撮影していると必ずといっていいほどK47編成を見かけたことも確かだった。ということは、東京駅で粘ればいずれは来るのではないかと。
朝が苦しくない時間帯で、一番早い200系充当列車は9:44発。越後湯沢まで往復して帰りも200系に乗れる限界は14:12発。その間3本が200系なので5回チャンスがあることになる。そこでK47編成が来なければ、さすがに諦めることにした。
1本目の9:44発はK46編成だったのでパス。そのあとにK51編成の折り返し回送があり、次の10:32発。

K47編成キター。2本目で来るとはツイてる。最後尾の1号車(写真)の自由席へ。

K47編成を含めて200系は徹底的にリニューアルされてE2系などに近い内装になっており、外観とは裏腹に国鉄時代の面影はまったくない。その点は0系や100系とは大きく異なるといえる。とはいえ、重厚な乗り心地はやはり初期の車両だなと思わせるものがあった。まあ、K47編成に乗っている!というプラシーボ含めてだけど(w。
東京駅出発時は3列席に1人で座れたが、上野・大宮で満席となり、熊谷では立ち客まで出る始末。乗客の顔ぶれをみても乗り納めという雰囲気ではない。E1系の時もそうだったが、上越新幹線は意外と混む。写真は高崎で少し降りた後、ようやく撮影できた写真である(窓の外がトンネルなのはそのため)。

1時間20分ほどで越後湯沢に到着。大清水トンネルを超えて、ここまで来るのは初めてである。ガーラ湯沢方面への分岐駅でもある(ガーラ湯沢駅までは博多南線と同じで在来線扱い)。

この駅は通過線がある典型的な新幹線駅だが、雪を防ぐ上屋とそれを支える柱で季節天候問わず形式写真・通過列車いずれも撮影は困難。レールの先に見えるのは・・・

大清水トンネル。谷川岳を貫く22km以上の超大トンネルで、東北新幹線の岩手一戸トンネルができるまでは山岳トンネルとしては世界一を誇っていた。手前の「出」の標識が凍ってしまっている。

それもそのはずで、外見ると(神奈川県民から見れば)雪がすごい。気温も明らかに低い。川端康成の小説で有名なフレーズ「トンネルを抜けると・・・」をリアルに体験できるのだ。というか、あの小説も舞台はこの辺なんだそうで。トンネルはもちろん在来線の方だけど。

ホーム上にはなんと温泉がある。そう、ここは温泉地でもあるのだ。

越後湯沢のもう一つの顔は、北陸方面の乗り換え駅であること。ここから「はくたか」で富山・金沢方面に向かう利用客はかなり多い。北陸新幹線が開通したら、乗り換え駅としての役割は終わってしまうかもしれないが。

上りホーム端から大清水トンネル方面に向けてみたが、はやり柱が多くて撮影には・・・新潟方面も似たようなものだった。

筆者のX-S1ならさらにズームできるが、トンネルの暗闇だけになってしまう。この駅は撮影にはとことん向かないようだ。

とうわけで、いったん改札を出て折り返すことに。待合室にはこんなパネルがあった。

コンコース内の案内板には、実車が引退してかなり経つのにE1系が旧塗装で残っていた。

新幹線側の出口を出ると送迎バスが待つ温泉街。新幹線駅の前が温泉街というのは他には熱海くらいで非常に珍しい。北陸新幹線ができてもこれで生き残れるか。

駅の反対側はなにもないが(失礼)、雄大な景色が楽しめる。雪景色と青空が美しかった。
越後湯沢駅は観光地+北陸方面乗り換えということもあり、コンコース内は充実しており食事などには困らない。ただ、前述の通り駅撮りはまったくできないので、食事だけしてさっさと引き上げることにした。
(いつ書けるかわからないけど、後編へ続く・・・)
筆者はこれまでも引退した新幹線車両は一通り乗り納めをしているが、最終運転などには特に興味はないし、わざわざパニック必至なところに行きたくないので、なるべく早めに行動するように心がけてる。今回の200系も例外ではないが、1月下旬に数本がE2系に置き換えられる=200系が何本か廃車になることもあり(結果的にはそうならなかったが、K47編成が落ちることすら想定した)、その直前である1月12日を乗り納め日としてチョイスした。それより早いと年末年始ということもあり、別の意味で混雑してしまう。
次にどこまで乗るか。ガッツリ乗るなら新潟往復がベストだが、さすがにコスト的にきつい。かといって、高崎あたりでは物足りない(E1系はそうしてしまったが・・・)。というわけで、大清水トンネルや雪景色など「上越新幹線」をそこそこ味わえ、コストもそれなりに抑えられる越後湯沢まで乗ることにした。往復で200系に乗りたかったので乗車機会という意味でも、折り返しがある同駅までがよいと考えた。
そして、どうせ乗るなら原色塗装のK47編成に乗りたいと思った。当時の200系はK26・41・42・43・46・47・51の7本が稼働していたが、K47編成は他の200系と共通運用なので時刻表では区別がつかず、K47編成に乗れる確率は1/7。2011年夏の100系乗り納めでは原色編成には乗れず残念な思いをしたことがあるが、その時の確率は3/8だったのでさらに分が悪い。
ただ、山陽新幹線に比べたら上越新幹線の距離は短いし、越後湯沢での折り返しも考えると数値ほどシビアではなく、東京駅で撮影していると必ずといっていいほどK47編成を見かけたことも確かだった。ということは、東京駅で粘ればいずれは来るのではないかと。
朝が苦しくない時間帯で、一番早い200系充当列車は9:44発。越後湯沢まで往復して帰りも200系に乗れる限界は14:12発。その間3本が200系なので5回チャンスがあることになる。そこでK47編成が来なければ、さすがに諦めることにした。
1本目の9:44発はK46編成だったのでパス。そのあとにK51編成の折り返し回送があり、次の10:32発。

K47編成キター。2本目で来るとはツイてる。最後尾の1号車(写真)の自由席へ。

K47編成を含めて200系は徹底的にリニューアルされてE2系などに近い内装になっており、外観とは裏腹に国鉄時代の面影はまったくない。その点は0系や100系とは大きく異なるといえる。とはいえ、重厚な乗り心地はやはり初期の車両だなと思わせるものがあった。まあ、K47編成に乗っている!というプラシーボ含めてだけど(w。
東京駅出発時は3列席に1人で座れたが、上野・大宮で満席となり、熊谷では立ち客まで出る始末。乗客の顔ぶれをみても乗り納めという雰囲気ではない。E1系の時もそうだったが、上越新幹線は意外と混む。写真は高崎で少し降りた後、ようやく撮影できた写真である(窓の外がトンネルなのはそのため)。

1時間20分ほどで越後湯沢に到着。大清水トンネルを超えて、ここまで来るのは初めてである。ガーラ湯沢方面への分岐駅でもある(ガーラ湯沢駅までは博多南線と同じで在来線扱い)。

この駅は通過線がある典型的な新幹線駅だが、雪を防ぐ上屋とそれを支える柱で季節天候問わず形式写真・通過列車いずれも撮影は困難。レールの先に見えるのは・・・

大清水トンネル。谷川岳を貫く22km以上の超大トンネルで、東北新幹線の岩手一戸トンネルができるまでは山岳トンネルとしては世界一を誇っていた。手前の「出」の標識が凍ってしまっている。

それもそのはずで、外見ると(神奈川県民から見れば)雪がすごい。気温も明らかに低い。川端康成の小説で有名なフレーズ「トンネルを抜けると・・・」をリアルに体験できるのだ。というか、あの小説も舞台はこの辺なんだそうで。トンネルはもちろん在来線の方だけど。

ホーム上にはなんと温泉がある。そう、ここは温泉地でもあるのだ。

越後湯沢のもう一つの顔は、北陸方面の乗り換え駅であること。ここから「はくたか」で富山・金沢方面に向かう利用客はかなり多い。北陸新幹線が開通したら、乗り換え駅としての役割は終わってしまうかもしれないが。

上りホーム端から大清水トンネル方面に向けてみたが、はやり柱が多くて撮影には・・・新潟方面も似たようなものだった。

筆者のX-S1ならさらにズームできるが、トンネルの暗闇だけになってしまう。この駅は撮影にはとことん向かないようだ。

とうわけで、いったん改札を出て折り返すことに。待合室にはこんなパネルがあった。

コンコース内の案内板には、実車が引退してかなり経つのにE1系が旧塗装で残っていた。

新幹線側の出口を出ると送迎バスが待つ温泉街。新幹線駅の前が温泉街というのは他には熱海くらいで非常に珍しい。北陸新幹線ができてもこれで生き残れるか。

駅の反対側はなにもないが(失礼)、雄大な景色が楽しめる。雪景色と青空が美しかった。
越後湯沢駅は観光地+北陸方面乗り換えということもあり、コンコース内は充実しており食事などには困らない。ただ、前述の通り駅撮りはまったくできないので、食事だけしてさっさと引き上げることにした。
(いつ書けるかわからないけど、後編へ続く・・・)